にも書ける!声人語  〜略して君天〜

【天声人語】 2005年10月18日(火曜日)付

【君天ver.】 2005年10月18日(火曜日)付

 昨日、「小泉首相が秋の例大祭の靖国神社に参拝する」という速報を聞いた時、以前のような紋付きはかま姿の首相を想像した。実際には背広姿だった。一瞬肩すかしをされたような気がした。

 昨日、「小泉首相が秋の例大祭の靖国神社に参拝する」という速報を聞いた時、朝日がアカ丸出しで狂喜乱舞する姿を想像した。実際にはそのとおりだった。一瞬してやったりのような気がした。

「内閣総理大臣 小泉純一郎」といった記帳はせず、本殿に上がることもなく、ポケットからさい銭を出し、礼をした。過去のような参拝は「公務」とした違憲判決を意識したのかも知れないが、すぐに疑問がわいた。

 「内閣総理大臣 小泉純一郎」といった記帳はせず、本殿に上がることもなく、ポケットからさい銭を出し、礼をした。過去のような参拝は「公務」とした単なる意見・判断を意識する必要などないのにと思いながら、すぐに朝日の記事を見た。

 装いは軽くても、現役の首相の参拝には違いない。水に隠れるのを水遁(すいとん)の術、火を使って姿を隠すのを火遁の術などというが、昨日のやり方は、いでたち、装いに隠れる「装遁の術」のようだった。

 ペンは軽くても、現役の新聞記者の記事には違いない。既存のwebページに手軽に意見を書き込めるものとしてブログや掲示板などがあるが、昨日の天声珍語は、文脈、文面ともに「素人のブログ」のようだった。

 作家の安岡章太郎さんの通っていた中学は、九段の靖国神社のとなりにあった。春と秋の神社の祭りでは、境内に大小様々の天幕が並び、サーカス団もやってきた。

 作家の立花隆さんの書いていた記事「知的亡国論」は、文藝春秋の誌面にあった。春と秋と文藝の会社の祭りは、芥川賞、直木賞であり、たぶん受賞作ぐらいは、サイアスの記者も読んでいた。

 テントのかげに、肋骨(ろっこつ)がすけて見えるほどの老馬がつながれていた。いたいたしく見えた馬だが、いったん舞台に出ると見違えるようにいきいきとして、長年鍛え抜かれた巧みな曲芸を見せた(「サアカスの馬」『安岡章太郎集』岩波書店)。

 資源ごみ回収所のかげに、ヒモで十字に縛られたある雑誌が捨てられていた。いたいたしく見えたが、いったん廃刊が決まるとあっというまに忘れ去られて、長年読みつがれた伝統の科学雑誌は消えた(「サイアスの廃刊」『朝日新聞社』出版本部)。

 ひきくらべるわけではないが、昨日の首相に、制御のきかない暴走を連想してしまった。これまで「小泉劇場」の「小泉マジック」は、多くの人を引きつけてきた。それはそれで、首相独特の手法なのかもしれない。

 しかし、司法の違憲の判断をも軽くみているような姿に、「小泉サーカス」の危うさが際だって見える。

 ひきくらべるわけではないが、昨日の報道に、制御のきかない暴走を連想してしまった。これまで「小泉激憎」の「小泉マジ叩き」は、多くの中国人韓国人を引きつけてきた。それはそれで、朝日独特の手法なのかもしれない。

 しかし、司法の判決でもないただの意見の判断を違憲の判断として捏造変換するような小ワザに、「朝日新聞社」の危うさが際だって見える。

 かたくなな「信念」の行きつく先が心配だ。

 かたくなな「信念」の行きつく先は失敗だ。

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