にも書ける!声人語  〜略して君天〜

【スポーツコラム】 2005年10月21日(金曜日)付

小さいことは、いいことだ


【スペースコラム】 2005年10月21日(金曜日)付

調べることは、いいことだ


 さつき賞で444キロだったディープインパクトは、18頭のメンバー中、ダイワキングコンと並んで最も小柄だった。ダービーでの448キロも2番目の軽量だった。

 NASAの探査機ディープインパクトは、今年の7月4日、核が縦14キロ、横4.6キロほどのテンペル第1彗星に、重さ約370キロの子機を時速3万7000キロで衝突させた。

 近代競馬の歴史は、数十年に一度出現する「小さな巨人」によって大きく変えられてきた。

 彗星探査の歴史は、数年〜数百年に一度回帰する彗星と「小さな探査機」によって大きく変えられてきた。

 1930年に英国で生まれたハイペリオンは初めて調教師のもとに来た頃、体高(背中のとがった部分から地面までの高さ)は150センチに満たなかったといわれる。それが英国ダービーを新記録で勝ち、引退後も多くの優秀な子どもを送り出す名馬になった。

 1986年に回帰したハレー彗星探査では、日本の「さきがけ」「すいせい」、ソ連の「ベガ1号」「ベガ2号」、ヨーロッパの「ジオット」が次々と接近し、彗星は氷と塵でできた核に鉱物や金属が混入した不規則な形をした固体であることが確認された。

 52年にイタリアで生まれたリボーは現役時代16戦16勝の無敗。欧州最大のレース凱旋門賞(がいせんもんしょう)を2連覇するなどしたが、幼い頃のあだ名は「イル・ピッコロ」(小さな子)。小柄なせいでダービーなどの3歳クラシックレースへの登録をあきらめたほど小さかった。

 2001年には、アメリカの「ディープスペース1号」がボレリー彗星に、2004年1月には、おなじくアメリカの「スター・ダスト」がウィルド第2彗星にそれぞれ接近して、鮮明な核の画像を撮影した。「スター・ダスト」は初めて彗星の粒子を採取することにも成功した。

 61年にカナダで生まれたノーザンダンサーは米ケンタッキー・ダービーを制すなどし、種牡馬(しゅぼば)として大成功。ニジンスキーやノーザンテーストを通じて日本競馬にも多大な影響を与えたが、この名馬も小柄を理由に競り市で買い手がつかなかった。

 46億年前に太陽系ができたころの惑星の原材料は彗星の核に閉じ込められていると考えられている。テンペル第1彗星の噴出物からは、水や二酸化炭素、シアン化水素のほか、有機シアン化合物のシアン化メチルらしき物質も検出された。

 我々は今、日本のハイペリオン、リボー、ノーザンダンサーを目の当たりにしているのかもしれない。21世紀初の3冠馬を目指すディープインパクトはそれほどの逸材だ。

 我々は今、太陽系の成り立ち、有機物、生命誕生の鍵を目の当たりにしているのかもしれない。人類史上初の彗星内部探査実験、ディープインパクトはそれほどのミッションだ。

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