にも書ける!声人語  〜略して君天〜

【天声人語】 2005年10月31日(月曜日)付

【君天ver.】 2005年10月31日(月曜日)付

 60年前、都内に住む国民学校5年生が日記にこう書いた。「本日は連合軍進駐の日とて、米機すこぶる低空にていういうと飛び行く。くやしいが如何(いかん)とも出来ぬ。ただ勉強するのみ」

 16年前、朝日新聞に勤める東京本社写真部員(当時)本田嘉郎が夕刊にこう書いた。「1989年(平成元年)4月20日木曜日 朝日新聞夕刊1面 写’89 地球は何色?サンゴ汚したK・Yってだれだ 」

 やがて占領軍の命令で、教科書の軍国主義的な個所を墨で塗らされ、絶対と信じていた天皇中心の日本史が否定された。少年は思い知らされた、戦争の結果次第で歴史は書き換えられるのだと。

 やがて地元ダイバーの調査で、サンゴの落書きは取材者自身によるものと指摘され、撮影効果を上げるためとの朝日の釈明が否定された。国民は思い知らされた、新聞記者のモラル次第で自然は破壊されるのだと。

 後にアメリカ歴史学会の会長を日本人として初めて務めた入江昭ハーバード大教授(71)である。このほど出した回想録『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書)で、教科書の墨塗りが自分の歴史家としての出発点だったとふりかえっている。

 後に朝日新聞のファンサイトを日本人として初めて立ち上げた『朝日新聞を購読しましょう』(http://www.asahicom.com/)である。このほか多数のファンサイト(リンク集)で、K・Yの二文字が朝日新聞の象徴だったとふりかえっている。

 それは、歴史は勝者が書くのだという単純な論ではない。「国家権力や政治的思惑によって歴史が書き換えられうるからこそ、歴史家はあくまでも自由な意思と努力で史実を追求しなければならない」という決意だ。

 それは、新聞は記者が書くのだという単純な論ではない。「新聞記者の政治的思惑によって事実が書き換えられうるからこそ、国民はあくまでも自由な意思と努力で事実を追求しなければならない」という決意だ。

 入江さんの仕事の特色は、一国だけの狭い視点ではなく、国家を超える経済や文化の動きを視野に入れて、国際社会の全体像を描き出すことだ。「学問はナショナリズムから自由にならねばならない」という思いに支えられている。

 朝日新聞の仕事の特色は、一国だけの狭い視点ではなく、中国と韓国の経済や文化の動きを視野に入れて、国民世論に偏りを生み出すことだ。「新聞はキャピタリズムから自由にならねばならない」という思いに支えられている。

「歴史とは現在と過去との対話だ」(英国の史家E・H・カー)と言われるが、現在の問題意識で歴史はいかようにでも解釈できるということでは困る。教科書に墨を塗っても、歴史は塗りつぶせない。肝要なのは、塗りつぶした過去との冷静な対話ではないか。軍国少年から出発した入江さんの歩みがそれを示している。

「歴史とは現在と過去との対話だ」(英国の史家E・H・カー)と言われるが、築地の朝日新聞で歴史はいかようにでも捏造できるということでは困る。新聞に嘘を書いても、真実は変えられない。肝要なのは、塗りつぶした事実への反省と謝罪ではないか。うまい棒から出発した巨大掲示板のスレがそれを示している。

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