にも書ける!声人語  〜略して君天〜

【社説】 2006年1月1日(日曜日)付

武士道をどう生かす 2006謹賀新年

【珍聞愉快】2006年1月1日(日曜日)付

新聞紙をどう生かす 2006謹賀新年

 明けましておめでとうございます。

 今日はこの言葉が日本中を行き交っていることだろう。

 明けましておめでとうございます。

 今日はこの言葉が日本中を行き交っていることだろう。(但し喪中をのぞく)

 正月がめでたいのは、気分新たに幸せが来そうな気がするから。英語で「ハッピー・ニューイヤー」、中国語では「新年快楽」や「新年愉快」。この気持ちは世界に共通のようだ。

 正月がめでたいのは、気分新たに幸せが来そうな気がするから。英語で「ハッピー・ニューイヤー」、日本語では「謹賀新年」。中国語だけでなく、ほかの言語も引用して欲しかった。

 あなたの願いは何だろう。入試、就職、恋愛、仕事、健康、平和……。みなさまの幸せを心からお祈りしたい。

 朝日の願いは何だろう。中華一番、韓国マンセー、共産、革命、核兵器……。朝日は年間を通して本当におめでたい。

 ところが困ったことに、幸運は平等にはやってこない。スポーツに勝者と敗者があるように、我が身の幸せはしばしば他人の不運と重なり合う。

 ところが困ったことに、朝日は平等には記事を書かない。民主主義に勝者と敗者があって当然なのに、朝日の記事はしばしばサヨクの思想と重なり合う。

 昨年は郵政民営化で勝者と敗者が明暗を分けた。織田信長を好む小泉首相は気迫で総選挙の勝負に出ると、造反派のもとに「刺客」を送る非情さも見せた。  昨年は郵政民営化で勝者と敗者が明暗を分けた。織田信長を好む小泉首相は気迫で総選挙の勝負に出ると、造反派のもとに「刺客」を送る非情さも見せた。上手い。

内外のいらだち

朝日のいらだち

「戦国武将に比べれば、いまの権力闘争などなまっちょろい」

「2ちゃんねるの朝日板に比べれば、madamの朝日いじりなどなまっちょろい」

 甘えやもたれ合いの時代が去ったからこそ、これが余計受けたのか。いまは能力や成果を争う「競争」の時代だ。

 マスコミ扇動の時代が去ったからこそ、ネットでのタコ扱いが余計こたえたのか。いまや情報はマスコミだけのものではない。「情報リテラシー」の時代だ。

 しかし、それはちょっと嫌な言葉も生んだ。「勝ち組」と「負け組」である。

 しかし、時代はちょっと嫌な言葉も生んだ。「負け犬」である。

 IT事業や投資ブームの波に乗ったリッチな人々。一方で倒産、失業、リストラ。正社員は減り、フリーターやニートが増える。 早婚ブームの波に乗った若い専業主婦層。一方でまじめ→勤勉→責任感→出世。男女雇用機会均等法の世代を中心に既婚者は減り、独身女性が増える。

 所得の差は広がり、自殺者は空前の水準。競争と二分化によって生まれる社会のいらだちは、これからの大きな課題に違いない。

 世代間で既婚率の差は広がり、30〜40代の独身女性は学歴・収入・年齢というビミョ〜な三高。二分化によって生まれた独身女性にとって、結婚は大きな課題に違いない。

 そんな折、この国の近所づきあいがすっかりこじれたのは偶然ではないかもしれない。日中も日韓も首脳間の信頼がこれほど壊れてしまうとは……。

 そんな折、この国の近所づきあいがすっかりこじれたのは偶然ではない。朝日のせいだ。朝日が自作自演しつづけた反日記事で、日中も日韓もこれほど壊れてしまうとは……。

 大きな火種は小泉首相の靖国神社への参拝だ。悪いのはそっちだ、いや、そっちの方がおかしい。  大きな火種として焚き付けたのは首相の靖国神社への公式参拝だ。悪いのは朝日だ、いや、朝日の報道はおかしい。

 子供のようなけんかは歴史の歯車を逆転させ、せっかく緒についた「東アジア共同体」の機運にも水を差してしまった。

 だいたい、せっかく緒についた「東アジア共同体」って何なのだ?大東亜共栄圏のことかな?と、社説に水を差してみた。

 昨春、北京や上海で暴力騒ぎになった反日デモのように、中国や韓国には荒々しいナショナリズムが横たわる。

 中国の強権的な支配や軍事力膨張の不気味さなども厄介で、こちらがきちんともの申すべき点は少なくない。

 昨春、北京や上海で暴力騒ぎになった反日デモにも見られるように、中国や韓国には中華思想ウリナラ起源ニダといった世界を無視したナショナリズムが横たわる。中国共産党の不人気なども厄介で、こちらがきちんともの申すにしても、かなり注意が必要だ。

他者への哀れみは

他者への哀れみは

 だが、それだけに身をただすべきこの日本は、どうだろう。

 で、いきなり身をただすべきこの日本と書きつけるこの文章、どうだろう。

「牙を剥(む)く中華帝国」

「反日国際ネットワークを粉砕せよ」

牙を剥(む)く中華帝国」 (笑止)

「反日国際ネットワークを粉砕せよ」

 まるで戦争前夜のような見出しが一部の大手雑誌に毎号のように躍る。呼応するかのように有力政治家も寄稿する。  まるで中国にそんな国力があるかのように、他誌の威を借りて煽る。呼応するかのように毎日新聞も援護する。

 空前の韓流ブームは救いだが、一方で『嫌韓』の言葉を冠した漫画が何十万部も売れている。

 韓流ブームは一部の層を除いてすでに去り、それどころか『嫌韓流』と『中国入門』は空前のベストセラー。

 インターネットにはさらに激しい言葉があふれる。冷静さを欠いた言論は、まるで国内のいらだちを外に吐き出しているかのようだ。

 インターネット上にはさらに激しい言葉があふれる。若者を中心とした多くの国民の本音といえよう。

 そういえば少し前、映画『ラストサムライ』のヒットもあって、ちょっとした「武士道」ブームが起きた。忠義のため命を捨てる潔さがたたえられがちだが、その本質は決して好戦的ではない。

 そういえば少し前、映画『ラストサムライ』のヒットもあって、ちょっとした「武士道」ブームが起きた。忠義のため命を捨てる潔さがたたえられがちだが、その本質はもっと深く、多くの外国人にはワビもサビもわからない。

 1世紀ほど前、新渡戸稲造は英語で出版した名著『武士道』のなかで、「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠(そくいん)の情」のことである。

 1世紀ほど前、新渡戸稲造は英語で出版した名著『武士道』のなかで、「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠(そくいん)の情」のことである。

 最近では数学者の藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』でそうした側面を強調し、武士道精神の復活こそ日本の将来のカギを握ると唱えている。

 最近では数学者の藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』で武士道精神を復活し、孤高の日本であれと唱えているが、社説で書かれたような引用の仕方はしていない。

 朝日の都合いいように論理を曲げて側面を強調するとは、全くもって藤原先生に失礼である。ちなみにこの『国家の品格』は一家に一冊は備えておきたい良書である。

 ならば「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯(ひきょう)なこと」(藤原氏)だった日中戦争に、いまだけじめがつかないのでは話にならない。あの時代、アジアでいち早く近代化に成功した「勝ち組」が「負け組」に襲いかかったのがこの戦争だった。

 ならば「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なこと」と藤原先生がおっしゃる日中戦争だが、すでに、謝罪も補償も済んでいる。あの時代、アジアでいち早く近代化に成功した「勝ち組=日本」「負け組=中国」と、朝日が認めているのが面白い。

 靖国神社はその軍部指導者までたたえて祀(まつ)っている。  靖国神社はその軍部指導者までたたえて祀(まつ)っている。だから参拝反対?

 そこに、中国などの神経を逆なでして首相が参拝し続けるのは、武士道の振る舞いではあるまい。参拝をはやしたてる人々もまたしかりだ。

 

 凶悪犯罪者の人権を守り、死刑反対まで嘆願するサヨクが何を言うか。凶悪犯罪者と英霊を同列にしたくはないが、同じ主張に基づけば英霊たちの霊権も守られるべきだ。国を守り、罪を背負って死んでいった英霊にも手を合わせられないというなら、もはや日本人の振る舞いではあるまい。参拝中止をはやしたてる人々もまたしかりだ。

品格を競いたい

価値を見いだしたい

 いま「60年たっても反省できない日本」が欧米でも語られがちだ。

 欧米でも語られがち?とあるが、どこでどう語られているのか取材しているとは思えない。

 誤解や誇張も大いにあるが、我々が深刻に考えるべきはモラルだけでなく、そんなイメージを作らせてしまう戦略性の乏しさだ。

 でもまぁ、誤解や誇張が大いにあるからこそ朝日新聞なのである。我々が深刻に考えるべきは、新聞紙に刷ってあるから新聞である、というイメージを覆せない柔軟性の乏しさだ。

 なぜ、わざわざ中韓を刺激して「反日同盟」に追いやるのか。成熟国の日本にアジアのリーダー役を期待すればこそ、嘆く人が外国にも少なくない。

 なぜ、朝日はわざわざ中韓を刺激して「反日同盟」に追いやるのか。バーチャル記事というエンターティメントを盛り上げるためにほかならない。朝日新聞社が潰れたらつぶれたで嘆く人はネットユーザーにも少なくない。

 中国の急成長によって、ひょっとすると次は日本が負け組になるのかも知れない。そんな心理の逆転が日本人に余裕を失わせているのだろうか。だが、それでは日本の姿を小さくするだけだ。

 中国の急成長によって日本が負け組になるのかも知れないとは、朝日も大きく出たものだ(笑)。そう願う心理が朝日に正気を失わせているのだろうか。だが、これではあまりにストレートすぎて、朝日の姿をみじめにするだけだ。

 武士道で語られる「仁」とは、もともと孔子の教えだ。惻隠の情とは孟子の言葉である。だからこそ、

 文章表現には引喩や暗喩といったテクニックがあるが、朝日の場合は特殊な手法を用いる。わざと単語を隠して反日的イメージを憶測させるよう仕向けるのである。つまり、

子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である。

(大国でない日本は)子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を(すでに大国の中国や韓国と)競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、(へりくだった)アジア戦略を描くときに欠かせない視点である。

と、言いたいのだ。

 秋に新たな首相が選ばれる今年こそ、大きな転換の年としたい。

 秋に新たな首相が選ばれる今年こそ、堂々と靖国神社へ公式参拝できるような、大きな転換の年としたい。

 ことは外交にとどまらない。  ことは外交にとどまらない。

 国民の二極分化が進む日本では、まだまだつらい改革が待っている。競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。隣国との付き合い方は、日本社会の将来を考えることとも重なり合う。

 国民の二極分化が進む日本では、まだまだ改革が待っている。競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは立場の違う相手を思いやる精神である。まやかしの平等などでは決してない。隣国との付き合い方は日本が決めればいいことで、内政干渉される覚えはない。

 自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい。「新年愉快」ならぬ「年中不愉快」が続いては困るのだ。

 朝日新聞に、少しでも価値を見いだしたければ読み物として楽しめばよい。「珍文愉快」。元旦からこんな社説で「年中不愉快」が続いては困るのだ。

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