にも書ける!声人語  〜略して君天〜

【社説】 2006年3月15日(水曜日)付

国旗・国歌 ここまでやらずとも

【社説】 2006年3月15日(水曜日)付

社説・珍説 ここまでやらずとも

 桜のつぼみがふくらむこの時期は、卒業式の季節だ。先生や親に感謝し、新しい出発に胸をふくらませる。それぞれに思い出があるだろう。

 桜のつぼみがふくらむこの時期は、卒業式の季節だ。社説やコラムに精を出し、新しい珍説に妄想をふくらませる。それぞれに思わくがあるだろう。

 ところが、東京の都立学校ではここ数年、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いている。国旗と国歌をめぐって大勢の教職員が処分されてきたからだ。

 ところが、東京の都立学校(といっても都立は東京にしか存在しないのだが)ここ数年、ぎすぎすした卒業式が続いているという。国旗と国歌をめぐって大勢の教職員が処分されてきたかららしい。

 私たちは社説で、処分してまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し指摘してきた。しかし、東京都教育委員会の姿勢は強硬になるばかりだ。

 朝日は社説で、処分してまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し指摘してきた。ムカツク。しかし、朝日新聞社の過干渉はますます強硬になるばかりだ。

 先週末、都立の定時制高校の卒業式で、十数人の卒業生の大半が国歌斉唱で起立しなかった。これを受けて、都教委は都立学校の校長に新たな通達を出した。生徒への「適正な指導」を教職員に徹底するよう求める内容だ。

 先週末、都立の定時制高校の卒業式で、とあるが、なぜ定時制なのだろう。これが全日制だとなにかマズイことでもあるのだろうか。定時制だけに責任転嫁するのはあきらかに定時制高校を差別する内容だ。

 生徒を1人残らず国旗に向かって立たせ、国歌を斉唱させる。かみくだいて言えば、それが指導の中身だろう。

 生徒を1人残らず国旗に向かって立たせ、国歌を斉唱させる。かみくだいて言われなくも分かる。大きなお世話というものだろう。

 見逃せないのは、今回の指示が職務命令にあたる「通達」であることだ。都教委は2年前にも同じような指示をしているが、その時は「通知」だった。いわば、これまでの「指導してください」が「指導せよ」に変わったわけだ。

 見逃せないのは朝日の勝手だが、今回の都教委の指示が2年前の「通知」から職務命令にあたる「通達」に変わったことで、これまでの「指導してください」が「指導せよ」に変わったわけだ。従うことが信条に反するのなら教師を辞めればいいだけのことだ。

 通達を受けた校長は教職員の一人ひとりに職務命令書を出さねばならない。起立しない生徒がいれば、先生が責任を問われ、処分されかねない。

 自分が歌わなければ先生が処分される。そう思った生徒は起立する。それが都教委の狙いだろう。

 通達を受けた校長は教職員の一人ひとりに職務命令書を出さねばならない。起立しない生徒がいれば、先生が責任を問われ、処分されかねない。

 生徒が歌わなければ先生が処分される。そう思った先生は起立せる。それが狙いだ。朝日は言ってることが逆だろう。

 先生自身は03年に都教委によって起立や斉唱を義務づけられている。それに抵抗した約300人が処分された。

 都教委にとって、残るは生徒だけだ。

 しかし、ちょっと待ってもらいたい。

 先生自身は03年に都教委によって起立や斉唱を義務づけられている。それに抵抗した約300人が処分された。

 朝日にとって、切り札はこの文言だけだ。

 しかし、ちょっと待ってもらいたい。

 6年前の国旗・国歌法の国会審議で、政府は「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と繰り返した。

「起立しない子どもがいたら、どう考えるか」と問われ、当時の文相はこう答弁した。「ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得る。他人を無理やり歌わせないとか、無理やり座らせるとか、こういうことはぴしっと指導すべきだ」

 6年前の国旗・国歌法の国会審議で、政府は「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と繰り返した。

「起立しない子どもがいたら、どう考えるか」と問われ、こう答弁した当時の文相は誰だっけ。「ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得る。他人を無理やり歌わせないとか、無理やり座らせるとか、こういうことはぴしっと指導すべきだ」

 定時制高校の卒業生たちは、他の生徒の起立や斉唱を妨げたわけではあるまい。それでも新たな通達を出した都教委は、生徒の内心の自由などをはなから考えていないとしか思えない。

 定時制高校の卒業生たちは、全日制の卒業生とはちがうとでもいいたいのだろうか。何様のつもりか知らないが、この社説を書いた人物は定時制高校に通う生徒の人権など、はなから考えていないとしか思えない。

 昨年、ある都立高校の卒業式で、生徒たちが「これ以上、先生たちをいじめないでほしい」と発言した。その高校では今年、保護者が要望した2階からのビデオ撮影を代表1人に限り、録画テープを学校に預けさせた。学校は「外部へ流出する恐れがある」と説明した。

 昨年、ある都立高校(全日制カ?)の卒業式で...云々の最後の段落、ちょっと待って欲しい。電突したブログの情報によると、その高校では今年、当日は2階からのビデオ撮影のみ代表1人になっただけで、保護者による式の撮影が禁止されたわけではない、とある。社説を読むかぎりでは、あたかも卒業式全体を撮影できなかったような印象を受ける。

 学校は何を恐れているのだろうか。

 保護者がわが子の記録も自由に撮れないとは、なんとも異常なことだ。

 朝日は何を言いたいのだろうか。

 保護者がわが子の記録も自由に撮れない、ということと、2階からのビデオ撮影が代表1人になったことが、どうつながるのだろう。なんとも異常な文章だ。

 卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。教育委員会の過剰な介入で、大切な思い出を汚してはならない。

 卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。朝日新聞社の過剰な妄想介入で、大切な思い出を汚してはならない。

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