小泉純一郎首相が8月15日に靖国神社を参拝した。退任間際の参拝であり、その影響は限定的と見られるが、無謀な戦争を引き起こして日本を国家滅亡の瀬戸際まで追い込んだ戦争指導者を合祀(ごうし)する靖国神社への首相参拝は内外の理解を得るのが難しい。この問題をこれ以上政治問題化、外交問題化させないようにすることが次期首相に課せられた責任である。
わたしたちはかねて、A級戦犯を合祀する靖国神社に国を代表する立場にある首相が参拝するのは好ましくないと主張してきた。その理由は(1)A級戦犯合祀に違和感を抱く遺族、国民が少なくない(2)首相の靖国参拝は日本がかつての戦争のけじめをあいまいにした印象を与え、外交上得策でない??からである。
残念ながら、小泉首相はこうした批判に論理的で明快な反論ができないまま毎年、日時や方式を変えて場当たり的な参拝を繰り返してきた。首相の説明が論理的でなく、説得力に乏しいから靖国参拝に対する内外の批判は沈静化するどころか、年々強まる一方だった。
首相の誤算はA級戦犯合祀問題を甘く見ていたことである。昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社を批判し、参拝を取りやめた経緯が富田朝彦元宮内庁長官の残したメモによって明らかになった。こうした靖国をめぐる歴史的経緯・積み重ねを無視して「公約実行」をたてに強引に靖国神社を参拝しても国民の支持と共感は広がらない。
戦没英霊に哀悼と感謝の誠をささげるのは当然のことである。天皇や首相がわだかまりなく靖国神社を参拝できる環境整備に努めるのが政治家の責任である。小泉首相にそうした真剣な努力の形跡がないのが残念である。小泉首相の参拝はテレビカメラの前で「どうだ、中国の言いなりにならないぞ」と大見えをきる政治ショーのようにも見える。
次期首相の最有力候補である安倍晋三官房長官は靖国問題について
(1)戦没者の方々に対する哀悼と感謝の強い気持ちは持ち続けたい
(2)靖国神社に行くか行かないかは一切申し上げるつもりはない
(3)この問題を政治問題、外交問題としてこれ以上拡大させるべきではない??
との考えを示している。あいまいさを残しているが、小泉首相の硬直した対応よりは柔軟とみることができる。
靖国問題が障害になって日中、日韓の首脳対話が途切れているのは異常である。双方の努力によって一刻も早くこの異常状態が解消されることを切に望みたい。
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小泉純一郎首相が靖国神社を参拝した。
不良債権処理、郵政民営化など数々の足跡を残してきた首相が、九月の退陣を前に残す置き土産がこれか。これが五年間の小泉政治の総括なのか−。そんな思いが募ってくる。
首相は二〇〇一年の自民党総裁選で「八月十五日に、いかなる批判があろうと必ず参拝する」と述べて当選した。以来毎年、終戦の日を避けながらも参拝を続けてきた。
現職首相による終戦記念日の参拝は、一九八五年の中曽根康弘氏以来である。中国、韓国など近隣国に加え、米国などとの間にもすきま風が避けられそうにない。国内の亀裂もさらに深まるだろう。
<次期政権に付けが>
首相はしかも、なぜ参拝にこだわるのか、分かりやすい説明をしていない。「心の問題だ」「(中国、韓国の反発は)理解できない」と繰り返すばかりだ。
小泉首相が非凡な政治家の一人であることは、多くが認める。バブル崩壊の後始末を進め、デフレを克服しながら少子高齢化に備える。この難しい取り組みを政府が曲がりなりにも進めてこられたのは、首相の力量、政治的勘の鋭さによるところが大きい。
参拝を強行したことにより、首相はこうした実績以上に、参拝にこだわるあまり内外に亀裂を広げた首相として記憶されることになりそうだ。残念なことである。
中国、韓国では抗議行動が広がっている。首脳交流が途絶えた現状は当面、改善が難しそうだ。「ポスト小泉」の次期政権に重い付けが引き継がれることにもなった。
この欄では繰り返し、首相は靖国に参拝すべきでない、と主張してきた。理由をここでは二つ挙げる。
<説明不足の危うさ>
第一は、靖国神社が先の戦争を自衛の戦争と位置付け、正当化していることだ。その歴史観は、戦争の反省に立って出発した戦後日本の歩みと相いれない。
そこへの首相の参拝は国際的には、日本が過去の歴史を反省していないあかしと受け取られる心配が大きい。中国、韓国などアジア諸国だけでなく、米国なども参拝に批判的まなざしを向け始めていることを軽視してはいけない。
第二に、首相の参拝は憲法が定める政教分離原則に抵触する可能性が高い。参拝を合憲とする判決はこれまで一つもない。仮に「私的参拝」と位置付けても、問題は残る。
参拝後の記者会見で首相は、「神道を奨励するために靖国神社に行っているのではない」「誰にでも許されている自由という問題をどう考えるのか」などと述べている。参拝を批判する人たちの主張や、憲法にうたわれた「思想・良心の自由」の規定を正しく踏まえない反論であり、説得力は乏しい。
各種の世論調査では、首相の参拝について賛成、反対がほぼ二分されている。そうした中で今回の参拝は実行された。
世論が割れているとき、内外の摩擦を強めるのが必至の行為に踏み切る必要がどこにあるか。かつての中曽根首相のように、批判をいれて参拝をやめることがなぜできないのか。小泉首相はここでも、十分な説明をしようとしない。
今度の参拝は、ワンフレーズ・ポリティクス(一言政治)とも呼ばれる首相の手法の危うさも浮き彫りにする。参拝の是非をまな板に載せ、得失を各面から吟味する政治のプロセスは、国会では結局、日の目を見ることはなかった。
靖国神社の在り方について、急ぎ論議を深めたい。靖国が戦没者追悼の唯一の場、と受け取られる余地を残し、A級戦犯が合祀(ごうし)されている現状をどうするか、幅広い観点からの検討が必要だ。
<「新しい施設」を>
差し当たり、官房長官の諮問機関が三年前にまとめた「新しい国立の無宗教の施設を設けるべきだ」との提言が手掛かりになる。
小泉首相の二〇〇一年の参拝が近隣国の反発を招いたことから、まとめられた経過がある。首相が投げ掛けた課題に応えた結論であり、重い提言だ。
誰もがわだかまりなく死者を悼むことができる施設が実現すれば、靖国の問題の多くは解消に向かう。その際は無論、首相はじめ指導的立場にある政治家は靖国参拝を控えるのが前提になる。
「ポスト小泉」の有力候補と目される政治家のうち、安倍晋三官房長官は、首相になってから参拝するかどうかは明らかにしない姿勢でいる。谷垣禎一財務相は、首相になった場合には参拝しない、と明言している。麻生太郎外相は靖国神社の自発的解散を前提に、事実上の国営化案を打ち出した。
首相の座に就いたら、その日から直面する問題である。総裁選の争点にしっかり据えて、それぞれの見識を競うべきだ。
先の戦争は何だったのか、A級戦犯をはじめ戦争指導者の日本国民に対する責任をどう考えるか、歴史をもう一度とらえ返す努力も欠かせない。遠回りのようでも、戦争についてあらためて論議を深め、共通の歴史観を育てることが、問題の早期打開につながる。
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