朝日新聞「声」検閲前 1999年8月22日投稿

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トルコ地震、どうか助けて

 

 トルコ地震以来、連日増え続ける犠牲者の報に胸をいためている。

 私達夫婦は8月11日の皆既日食を見るためトルコを訪れ、たまたま地震発生の半日前にイスタンブールを飛び立ち、帰国した。

 出発前に得たトルコの情報としては、テロが多発し治安は悪い、というものが殆どだったが、実際のトルコは違っており、治安が悪いどころか滞在中どれほど多くの人たちから善意を受けたか知れない。

 トルコで出会った人たちは誰もかれもみな親切であたたかく、親日家だった。聞けば、戦後急激な経済発展を遂げた、勤勉な日本人をお手本にしているのだという。街を散歩する人たちからは、「JAPON(ジャポン)、JAPON(ジャポン)、」と親しみを込めて声をかけられ、日本語も英語も通じなかったが、にこやかに身ぶり手ぶりを交えて意志を通いあわせることができた。

 私達が困っている場面に遇うと、まるで我が身のことのように心配してくれた。仲間のひとりが怪我をしてしまった時には、最優先で病院をあげての治療が行われ、外国からのお客さまに失礼があってはいけないと、無事が確認されるまで繰り返し丁寧な検査をしてくれた。

 また、ときどき物売りをして働いている子供は見かけたが、物乞いをする子供には一人も遇わなかった。街でも農村でも、子供達の表情は純粋で明るく、この国の未来を象徴するかのようだった。私は幾度となく、悪人がいないこの国は将来かならず発展するだろう、と強く思ったものだ。

 

 そこへ、大地震の悲報。

 

 トルコの夏は暑く、日中は40度を超える。そこへ石造りやれんが造りの建物から照り返す熱が加わると気温はさらに上がり、容赦なく体の水分を奪っていくのだ。

 あの人たちはどうしているだろう。

 熱くなった石に挟まれて、やけどをしていまいか、

 水が足りないだろうに、のどが乾いていまいか、

 苦しいだろう、なんとかがんばってくれまいか、

 なぜ、私はここにいて何もしてあげられないのだろうか。

 できるなら、今すぐにでもトルコに引き返して、あの瓦礫の山をどかしてあげたいのに。けれども、たとえ行かれたとして、食料も水も不足している街で素人の私に何ができるのだろう。かえって彼等の水を奪ってしまうだけではないか。

 

 大きな災害においては、一刻も早く、迅速なプロの作業が、数多く必要だ。こういうときにこそ自衛隊を派遣してもらえないだろうか。阪神大震災での教訓を今こそ活かして欲しい。

 そんな、せめてもの祈りをこめて義援金を送った。少しでも早く、ひとりでも多くの命が助かること、そして心優しいトルコの人たちに、再びあの笑顔が戻ることを、切に願ってやまない。

 

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