天文台マダム日記
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野辺山日記 2

 

固まった朝

ぎっくり腰闘病記?

最短最速80分

元気に暮らす

命を支える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 固まった朝   

 

 人生初の経験をした。朝、目が覚めたら、体が固まっていたのである。

「うっ、動けない..!?」

 動こうとすると腰に激痛が走る。私はゆっくりゆっくり姿勢を変えながら、やっとのことでベッドから起き上がった。おかしい。腰が石になったようだ。どうしたらいいのだろう?あたためたほうがいいのか、冷やすべきなのか。この対処を誤ると、症状が悪化することは目に見えている。とりあえず手当ての方法を探したい。

 こうしたときに威力を発揮するのがインターネットである。さっそくいつものように「google」へアクセス。「腰が痛い」「動けない」といったキーワードで検索をかけてみた。

 すると...どれが自分に該当するのかわからないほどビシバシヒットするではないか!

 見るかぎりだと「ぎっくり腰」「椎間板ヘルニア」といった記述が多い。う〜ん、いやな予感がするなぁ...。

 手当ての方法は、筋肉疲労で張りがある時は温めた方がよいし、炎症が起きているときは冷やすと書いてある。う〜ん、どちらも当てはまるような気がするなぁ...。

 どうしよう?

 

 結局、どのサイトを見ても「楽な姿勢で横になるように」と書いてあったので、とりあえず体を横たえ、しばらく休むことに。

 がっ、そのまま昼過ぎまで、まったく動けないハメになろうとは。

 

 夫にSOSを出す。

「病院へ行かなきゃダメだよ。」

 しまった。すでに総合病院の外来受付は終わっている時間だ。

 ウワサによると隣村の診療所に、いい先生がいるらしい。そこへ電話してみると

「きょうは近所で葬式があるから休みです。」

 ありゃりゃ。

 車で40分ほどのところに整骨院がある。電話してみると

「今日は先生がお留守です。」

 残念!!(←波田陽区風)

 

 やれやれ。こうした地域事情にはもう慣れたが、このあたりの医療機関の場合、毎日診察を行っているとは限らないのだ

 急な症状があらわれたときは、まず電話で確認してから診てもらった方が無難だろう。病院の場合でも科によっては、月・水・金だけの診療とか、担当医不在ということもある。それに病院自体が遠いので無駄足になっては意味がない。今回は整形外科のある病院へ電話して容体を話し、時間外診療をしていただいた。

 結果は腰椎捻挫。全治一週間、ほぼ寝たきりで体を休める以外、回復方法はないらしい。

 #いわゆる「ぎっくり腰」であった...。

 


ぎっくり腰闘病記?

 

 医師のいいつけを守って、ひたすら安静にして休む。およそ一週間、外出もせず家に閉じこもっていた。

 ワタクシの外見上、外出ができないなんて苦痛以外の何物でもないっ! というふうに思われがちだが、実際そうでもないらしい。家の中でおしとやかに過ごすのは私の性に合っている こんな軟禁状態でもネットにつながったMacさえあれば、とりあえず平気。

 私にとって最も痛手な環境は、Macが使えないことである。

 今回つらかったのは「座る姿勢がイカン!」というわけで、Macを禁じられたことだ。一週間もMacに触らないと禁断症状がでて、なんともいえない不安感にさいなまれる。

 私の場合、もはやMacなしでは暮らしが成り立たない。テレビの番組表もニュースもネットで見ているし、ちょっとした調べものは、即google。生活全般の書類やスケジュール、To Doリストの類いまで、み〜んなMacにしまってあるし、メールだって重要だ。いかに私が頭を使わずMacに頼り切った生活をしていたか、イヤというほど思い知らされた。

 私にとってMacは外付けの脳ミソなのだ。

 

 そういうわけで、家事労働は一週間お休み。

 今回、結婚してはじめて夫が一手に家事を引き受けてくれた。料理もしてくれた。洗い物もしてくれた。ゴミ出しもしてくれたし、掃除も洗濯もやってくれた。

 夫の株があがったことは言うまでもない。たとえ料理が半ナマ状態であっても、だしをとっていない薄味のみそ汁がでてきても、夫が作ってくれたというだけで美味しい 私は何度も「ありがとう」を繰り返し、なんとなくホノボノとした一日が過ぎていった。ああ、夫婦っていいなぁ...。

 

 だが、それも長くは続かなかった。

 

 3日目以降、事態は一転。だんだんと夫のイライラは増し、不機嫌な言葉となって返ってくる...。主婦が家で寝ているのは私だって肩身がせまい。私の方も

 「すみません」→「申し訳ありません」「役立たずで申し訳ございません...」

 と、どんどん気持ちが委縮してしまい、みじめだ。なまじ元気なのに動けないから、いっそう情けない。

「妻が3日も寝てると夫はいい顔しない」

 という話を聞いたことがある。心配してくれるのは、せいぜい3日までということらしい。

 オトコの人ってそうなんですか?

 これを読んでいる妻帯者のダンナ様方。奥さまが寝込んでしまった時にこそ、やさしく接してくださいな。奥さま喜ぶことまちがいなし!!きっと後で何倍にもなって返ってくるハズ。

 日常生活が不自由になってイライラするのはわかります。でもそこをグッとこらえて...。ああ、舌打ちなんてしないでっ...(涙;;)当人は、何も言えなくて案外心を痛めているんですぅぅぅ...。(痛)

 


最短最速80分

 

 この年はケガに泣いた。ぎっくり腰が治まったと思ったら、今度はなんと救急車に乗ってしまった。

 地域の救急病院は、佐久市にある佐久総合病院の本院と、小海町にある分院。 地元7市町村(佐久市、佐久穂町村、小海町、北相木村、南相木村 、川上村、南牧村)の患者を受け入れている。地域医療の先駆けとしてNHKのプロジェクトX でも紹介されたスゴイ病院だ。

 私はCTなどの検査を要したため、分院ではなく機材のそろった本院まで搬送されることになった。

 この時は運悪く道路に新雪が積もっており、夫が携帯電話で119番してから救急車到着まで約30分、私を乗せて片道40km離れた本院に到着するまでおよそ50分。最短最速の最善を尽くした輸送手段で80分を要した。

  

 ピーポー♪ピーポー♪ピーポー♪ピーポー♪ピーポー♪ピーポー♪ピーポー♪…

 シーソー♪シーソー♪シーソー♪シーソー♪シーソー♪シーソー♪シーソー♪…♪絶対音感があるのです♪

 なんか違和感を感じる。

(ああそうか、救急車の中にいるから音程が変わらないんだ...。)

 私は、50分間にもわたってドップラー効果がかからないサイレンの音というのを、はじめて聞いた。

 そうこうしているうちに病院へ到着。救急車の扉が開いて、広々とした救急治療室が見えた。雪の中、長距離を搬送してくださった救急隊員の方々に「ありがとう」を告げ、治療台に移していただくと、カーテンの奥から5人くらい若い男性の医師たちが出てきた。それぞれ白衣に「内科」「外科」「麻酔科」等のプレートをつけている。いろいろな科の医師が待機しててくれたようだ。さすが本院。

 医師A 「意識はありますね。ここ痛いですか?」

 私  「ハイ...」 

 看護士さんが手際よく衣服をたくしあげ、私は寝たままで胸部のレントゲンを撮っていただいた。

 医師A 「息を吸って〜。」

 私  (中途半端に吸う)

 医師A 「もっと息吸って〜、痛いかな?」

 私  (うなずく)

 =医師交代=

 医師B 「超音波で内蔵を調べますね。どこが痛いですか?」

 私  「●●と××と...」

 医師B 「ここですか?」(押す)

 私  「うぎゃ! そ、そこです...」 

 医師Bは私の背中や腹に油性マジックで印をつけながら、エコーで内蔵をチェックしている。色々な角度から数枚の写真を撮り診断。幸い内蔵に異常はなかったらしい。医師Bは満面の笑みをうかべたあとで私に告げた。

 医師B 「よかったですね!何ともありません。」

 ほ〜〜っ。お医者さんにそう言っていただいただけで、ものすごい安心感がこみあげてきた。

(笑顔のステキな先生

 処置の様子を見ていた若い先生方も自然と笑顔になった。いい病院だ。幸いケガの方は、全身打撲にねんざ、ろっ骨2本にヒビが入った程度の軽症であった。

 

 ん?いつのまにか、ずいぶん衣類がはだけているような...?

 そういえば、この日身につけていたのは、・・・思いっきり寒冷地仕様の遠赤外保温下着。

(しまった。もっとマシな下着をつけてくれば...。)

 後悔したが、あとの祭りであった。

 

 


元気に暮らす
〜地域をあげての予防医療〜

  

 地域医療のお世話になったことで、私はこの地で暮らす厳しさの一端を垣間見た。

 少ない医療機関、遠い病院、救急車を呼んでから到着するまでに要する時間・・・色々なことを考えさせられた。

 

 まずは、とにかく元気に暮らすべし。

 病気は予防するものと心がけ、日頃から体を鍛えたり、マメに健診を受けたり、自分の身体の状況をよく知っておくことが大切だ。

 

 ・・・と思ったら、すでにこの地域では実践済み。いやいや、恐れ入りました。

 

 実際、この地域の予防医療はたいしたものである。

 

 統計によると、長野県は日本一の長寿県。その長野県の中でも、ここ南佐久地方はとくに長寿地域として知られ、老人ひとり当たりの医療費や入院日数の少なさは、全国トップレベルだ。

「平成17年度 長野県内の国民健康保険一人あたりの医療費が少ない市町村」という資料を見たら、第1位がとなりの川上村で、第3位が、わが南牧村(それって、病院が遠すぎて行かれないんじゃ...というツッコミもあるのだが...)

 とにかく、スゴイところだったのだ!!

 南牧村には佐久総合病院と連携した、素晴らしい保健システムがある。毎年、村民全員が一律に安い自己負担で検診が受けられたり、人間ドックを受診すると補助金が受けられる制度は嬉しい。つまりは、それだけ予防医療が地域に根ざしているのではないだろうか。病気になったら病院へ行くのではなく、病気にならないように気をつける。治療より予防、という考え方だ。

 こうした先人の考えに学ぶところは大きい。

 親として、子どもの健康状態に常に気を配ることは言うまでもない。素人判断は禁物だが、日ごろから「子ども医学館」のようなホームケア関連の書籍に目をとおしておくことは大切だと思う。インターネットも強い味方だ。地域で行われる救急救命講習なども繰り返し受けるといい。

 こう言うと、大げさに思われるだろうか。

 田舎での暮らしは、いい事もたくさんあるが、そのぶん覚悟も必要なのだ。ロハスだ、スローライフだ、などと甘い言葉で勘違いしないで欲しい。

 もしも一刻をあらそうような事態になったら、都会なら助かるケースでも、ここでは死ぬかもしれない。

 

 自分のことは自分で責任を持つ、自分の健康は自分で守る。

 

 その上で地域の人同志が手を携え、助け合っているのだと、私はいま実感している。

 

 

 


命を支える
〜南部消防署&川上分遣所〜

 

 救急車初体験から半年後、体の具合もすっかり良くなった私は、地元PTA主催の救急救命講習会に参加した。この日は、川上村にある分遣所から、お二人の救急救命士がいらっしゃって、地域の救急の実情をお話くださったり、心肺蘇生法を指導してくださった。

 

 私たちが暮らす南佐久地域を担当するのは、佐久広域連合南部消防署。

 小海町、北相木村、南相木村、川上村、南牧村の5町村を管轄に持つ。本署は小海町にあるのだが、あまりにも管轄が広いため、川上村に分遣所がある。通常、野辺山で救急車を呼ぶと、川上村の分遣所から出動となる。となり村から救急車が到着するまで、それなりに時間を要するわけだが、それでも小海町からの救急車を待つよりは、ずっと早い。

 川上村分遣所の救急出動件数は、年間300件を超えるという。ということは、ほぼ毎日、出動する計算だ。救急の出動件数は年々増加しているそうで、この年は、6月半ばの時点ですでに100件を超えたそうだ。このたいへんな数を、たったの3人でこなしているという。

 

 えっ、たったの3人?!

 

 ということは、あのとき救急車で私を運んでくれたのは... まぎれもない、この方々だったのだ。

 思いがけない再会。

 私は胸が熱くなった。あの日の様子が目に浮かぶ。広いエリアを受け持つスタッフの人数にも驚いた。この地域の救急医療は、分遣所の3人によって支えられていたのだ。

 ますます、胸が熱くなった。

  

 講習会終了後、私はあらためて救命士の方に、お礼を言いにいった。

 私 「あの... 川上分遣所の方なんですよね。(なんか挙動不審...)」

 救 「はい、分遣所の I ですが、何でしょう。(怪訝そう?)」

 私 「あの、私、以前に救急車で本院まで運んでいただいたんです。その節は本当に、ありがとうございました。あのときは吹雪で、道路に新雪がつもって、たいへんな中を... おかげさまで...。 」

 ううう。思わず気持ちがこみあげてきてしまった。もちろん、多くの出動をこなす救命士さんは、私の事などおぼえてはいないだろうけど。

 救 「ああ、そうだったんですか。いやぁ、数が多いもんで...。」

 私 「そ、そうですよね。」

 救 「それで、お体の方はもう大丈夫なんですか?」

 私 「はい。」

 救 「そうですか。いやぁ、よかった。」

 そこではじめて、Iさんは嬉しそうに笑ってくれた。

 救 「おい、こんな美人乗せたっけなぁ?」(← この一言で、スッゴクいい人

 と、おどけて別のスタッフにも声をかけ、思わぬ再会を喜んでくださった。

 救 「分遣所で救急車洗ってますから、いつでもお茶飲みにきてください。」

 その気さくな笑顔に気持ちがなごむ。本当は訪ねていきたかったのだけれど...。ほぼ毎日出動、という状況を考えると、そう気軽には訪ねていかれなかった私。

 翌年の救急救命講習会で、Iさんは別の部署に転勤なさったと聞いた。

 

 お茶菓子を持って行けばよかったかな。

 今になって、ちょっぴり後悔している。

 川上分遣所の皆さん、ありがとう


この地域の救急は、あなた方3人によって支えられていたのですね。
ここで安心して暮らせるのは、あなた方のおかげです。
心からお礼を言わせてください。


 

  


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