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天文台マダム野辺山日記 1
天文台マダム野辺山日記 1
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野辺山に引っ越してきた。転居先はもちろん、野辺山観測所の敷地内にある職員宿舎だ。ベランダから45メートル電波望遠鏡が見えている なぜ官舎ではなく職員宿舎かというと、この4月1日より国立天文台はすべての国立大学と同様に法人化されたため、これまでの文部省直属から大学共同利用機関法人へと所属が変わった。(国立天文台法人化について http://www.nins.jp参照)したがって、これまで「野辺山の官舎」と呼んでいた建物のことを「野辺山の職員宿舎」と言いかえたのである。 新しい住まいは築10年の集合住宅。鉄筋コンクリート3階建ての宿舎は、三鷹キャンパスの宿舎に比べるとグッと近代的な印象だ。野辺山は自然環境が大変厳しい土地だと聞いていたので、かなり過酷な生活をも覚悟してきたのだが、寒冷地仕様の住宅は機密性に長けており、じつに快適。窓はサッシとガラス戸の二重窓になっており、ストーブをつけた部屋の中は三鷹にいたときよりもあたたかい。 間取りはいわゆるLDKだ。生活動線が分断されない暮らしやすさがある。暖房が行き届くため、台所にたっても寒くない。家の中で氷が張るようなことは、おそらくもうないだろう。風流かどうかは別として、正直、すべての家事がラクに感じられる。東京都民から南牧村の「村民」になった者の感想にしては非常に変わっているかもしれないが、住まいに限って言えば、東京にいたときよりも都会的になった。 「これが現代の暮らしだったのか!」 こうして私の生活は、昭和30年代風の生活から、一気に平成の近代的生活へと変貌を遂げたのである。
生活必需品
さて、寒冷地仕様の住宅とはいえ、気温が下がる秋・冬場は一日中ストーブをつけっぱなしになる。こうなると、今までのような18リットル入りポリタンクからの給油では、とても追いつかない。 宿舎の外には、各部屋ごと500リットル入りの灯油タンクが設置されていた。ここに灯油を入れておけば部屋まで給油してくれるシステムだ。しかし500リットルを満タンにしても、通常ひと冬で使い切ってしまうのだという。野辺山の暮らしは、ストーブなしには成り立たないのである。 いままで住んでいた築50年の木造官舎では適度にすきま風があったので、どんなにストーブをたいても一酸化炭素中毒になる心配はなかった。しかし、機密性に長けた住宅では、換気をしないと大変なことになってしまう。とはいえ、実際には氷点下の気温と吹雪のなかで窓を開けて換気など、できるわけがない。 「強制排気ができるストーブを取り付けないとなぁ...。」 と、夫が言う。給排気式で屋外から燃焼に必要な空気を給気し、排気を屋外に出す方式のストーブが必要不可欠だというのだ。換気不要で安全設計なこのストーブ、寒い土地では必須アイテムとのことなのだが、うーん、予想外の出費で困ったなぁ...と思っていたところ、なんと諸先輩方の多大なるご好意によって、不要になったストーブを譲っていただいたり、取り付け工事をしていただいたりして、ものすごく助かった。引っ越し早々には、ゴミ出し用のコンテナまでいただいてしまった。ありがた〜い 三鷹の官舎に入居したときも、ハワイへ転勤する先輩が、草刈り機とパソコンラックを譲ってくださり、大変助かったことを思い出す。なにをかくそう、A型ベビーカーとジュニアシートも先輩方からのいただきものだ。助け合いっていいですね。 私たちもこうしたご恩を忘れずに、いつか後輩のお役に立てたらと思う。
高標高
野辺山観測所の標高は1,342メートル。したがって、平地よりも空気が薄い。 ふだんはそれほど実感がわかないのだが、以前、体調があまりすぐれない状態で野辺山を訪れた際に、とつぜん頭痛に見舞われたことがある。これは、気圧変化による空気の(酸素の)薄さに身体が対応していないと表われる症状で、軽い高山病のようなものだという。夫も以前、三鷹から野辺山へ日帰り出張した際に同じ症状を経験したそうだが、だいたい一泊すれば身体が慣れて治ると言っていた。
せっかくこれだけの高所に住んでいるのを活用しない手はない。もしジョギングでも習慣にすれば、毎日が高地トレーニングだ。心肺機能はかなり鍛えられるにちがいない。ヴァームを飲んで走ればダイエットにも効きそうだ。よし!・・私は走るの苦手だから、夫にすすめてみようっと。(^^;) ちなみに、このあたりの不動産物件には必ず標高が表示してある!たしかに標高が100メートル下がれば、まるで気候がちがうのだから、必要不可欠な情報だ。 私は子供の送迎のために、野辺山(1350m) - 清里(1250m)間を毎日往復しているのだが、おかげで早々に、この気候差を実感することとなった。5月初旬といえど野辺山の朝はまだ肌寒い。子供に長袖のトレーナーを着せるくらいでちょうどいい。ところが、標高が100メートル下がった清里へ着いてみると半袖で過ごせるほど暑いではないか。かと思うと、急に曇って気温が下がってしまったり、急に風が吹いてきて肌寒くなったり...。山の天気は変わりやすいというが、それは山麓の高原でも当てはまるのだ。 結局、子供たちの服装は、半袖Tシャツの上に長袖のカットソーを着せて、カーディガンなどの上着を持たせることで落ち着いた。そう、夫がハワイ出張したときと同じテクニックである。 カンカン照りの清里をあとにして、車で国道141号線を野辺山へ向かうこと5分。「これより長野県」「南牧村/ ここは標高1374m」の看板をすぎたあたりから、とたんに霧がたちこめて、あたりは湿った空気につつまれた。この霧こそが、かの高級ブランド品である野辺山高原レタスや野辺山高原キャベツをはぐくむのである。
低気圧
野辺山の気圧はおよそ850ヘクトパスカル。
気圧が低いことと、目の前に高い山(八ケ岳連峰)があることによって、野辺山は風速が早くなってしまう傾向があるらしい。たしかに、天気が悪いと風が強い。低気圧が通過するときなどは、台風なみの強風にさらされる。今日もベランダでフトンを干している最中に大風がふいて、敷布団が飛ばされそうになり、思わず大あわてしてしまった。 冬になると、山麓一帯には六甲おろしならぬ、八ケ岳おろしと呼ばれる強い季節風が吹くという。夫の話によると、冬は風速20メートルがあたりまえ、ブリザードになることもあるらしい。 でも今は5月、高原の風はさわやかで心地よい。 風が強いと洗濯物もよく乾く
低気温
ところで、野辺山には蚊がいない。 あまりにも気温が低すぎるためだ。これまで蚊を気にしながら草刈りに明け暮れていた夏を思えば、格段に生活に費やす手間はなくなった。 そのかわり、東京ではほとんどみかけなかったハエがいる。(牧場や畑があるので)それも体長1cmくらいの巨大なヤツだ。夫いわく、 「生物学的に寒い場所だと動物の体はデカクなるからハエも巨大化するのか?」 と、私を喜ばすマニアックな考察を聞かせてくれた。 野辺山の気候は、ちょっとした条件によって変化しやすいように感じる。地元のケーブルテレビでは、なんと24時間丸一日気象情報を流しているチャンネルがあって驚いた。全国や長野県の気象情報に加えて、村内7ヶ所にある自動観測所のデータ(10分ごとの気温、湿度、降水量、天気、風向、風速、日射時間、日射量)を細かくグラフ化し、休むことなく延々と流しているのである。農家や牧場にとって、気象は生活の根幹に関わる大きな関心事だから、こうしたチャンネルの存在は心強いにちがいない。 全国ネットの天気予報で「各地の予報」を見ると、長年のクセでつい無意識に「東京」を見てしまう。 「いけない、いけない。長野か軽井沢を見なきゃ 」 5月中旬、東京は晴れ、気温25度。そうか、東京はずいぶん暖かいんだな。三鷹の官舎はどうしているだろう。 天気予報を見るにつけ、ふと思い出す。
引っ越しして2週間ほどたったとき、用事があって役場を訪れた。 「すみません、4月に三鷹から転入してきた..」 「あ、●●さんですね。このあいだご主人が見えましたよね。えーっと...(てきぱき事務をすすめている)」 なっ、名前を覚えられている!? ひょっとして、野辺山へ転入してくる人って、ものすごく少ないのだろうか? そういえば、宿舎の周囲を見渡しても人家は数えるほどしか目に入らない。畑が広いせいもあるのだが、やっぱり家は少ない。観光地として外から訪れる人は多いのだろうが、人口密度的にはどちらかというと過疎の部類に入る。郵便局は「野辺山簡易郵便局」、診療所の名前にいたっては、 「野辺山へき地診療所」 だ。 (村医不在 火、金のみの巡回診療) 八ケ岳のすそ野に広がる標高1,300mの野辺山高原。雄大な山々を背景にして、あたり一面に高原野菜の畑が広がっている。牧草地では牛たちが気持ち良さそうに、のんびりと時を過ごしている。清々しい風、広々とした青い空、思わず息をのむほどの満天の星空。こんな美しい景色に囲まれて、空気がきれいで、水がおいしくて、食べ物もおいしくて、そして、言葉をかわす地元の人々はみな人情が厚くて親切だ。 「なんてぜいたくな環境だろう。」 私は疑問に思った。 「こんなに素晴らしい土地なのに、どうして人口が少ないのだろう。」
答えのヒントは、やはり冬にあるらしい。引っ越し直後にウチを訪れたガス屋さん、灯油屋さん、郵便屋さん、ケーブルテレビの工事屋さん、みな一様に冬の厳しさを語っていく。 「冬の朝は零下25℃」 「ダイヤモンドダストが見られる」 「吹雪のときは数日家にこもりきり」 「大雪が降ると保育園は雪休み。行かれないから」 「雪にはまると四駆でも抜けられない」 「寒すぎて雪が溶けずに舞い上がってしまうため、車のタイヤは空回り」 「(隣駅の)清里の天気が雨でも野辺山は雪」 「5月に雪が降ったことがある」 「桜が咲くのはゴールデンウィーク明け」 ・ ・ ・ いずれにしろ、自然の驚異を身近に感じられる土地であることには違いない。野辺山を真に理解するためには、とにかく冬を越してみるしかなさそうだ。 こんな野辺山だが、私はたいへん気に入っている。
そのわけとは... 宇宙にいちばん近い駅
JR小海線野辺山駅
野辺山へ来て2日目の晩、車を降りて見上げた夜空に、私は目を奪われた。 「…きれい。」 宇宙に近いというのは本当だった。漆黒の闇のなか、東京では隠れてしまっていた小さな星々までもが、くっきりと光を放っている。天の川もハッキリ見えている。夫いわく、肉眼で6等星までは見えるそうだ。 「メガスターみたい...(うっとり)」 「おいおい、こっちが本物の夜空なんだよ、(夫:脱力〜)」 … 引っ越し早々、また「ボケ」をやってしまったようだ。
じっさい八ケ岳周辺は星見のメッカとしても知られている。野辺山、清里、原村、蓼科、と名だたる名所がズラリ。近隣には天体観測ができるペンションも数多い。もちろん、マイカーによる通行だってOKだ! というわけで、私が野辺山を気に入っている理由その1は 星空がスバラシイ! 宇宙に近い野辺山へ、あなたも星を見にいらっしゃいませんか。
おいしい野辺山
私が野辺山を気に入っている理由その2、食べ物がおいしいのである。 おいしい、おいしい、あぁおいしい。幸せだわ〜 と、つい食べすぎてしまったおかげで引っ越し早々、私は体重が増えてしまった。どうしてこんなにおいしいのだろう。それも、いままでにないおいしさなのだ。 東京にいたころ私は、東京ではお金さえ払えば大抵のものは手に入る、と思っていた。一流の味が食べたいなら、東京へいけばいい。首都東京には世界各国の食材を取り寄せられる流通ルートがあるし、超一流シェフの著名なお店があっちにもこっちにもある。一流を望むなら東京へ行くべき、それはある意味まちがいではないと思う。 かつて私は、一流というものにあこがれて東京をめざした。 東京には一流がゴロゴロしている。でもそれは、となりにあっても手が届かないかもしれないし、すれちがって、なんの関係も結べないかもしれない。でも望めば、チャンス次第で手に入れることができるのかもしれない。そんな環境が、若いころの私にはたまらない魅力だった。 引っ越してきて間もないある日のこと、一切れのパンの味が、私にあることを気づかせてくれた。 「 そうか、東京で手に入れられる一流はみんな、人間がつくりだすものだったんだ 」 そのパンは、もうひとつ大事なことを教えてくれた。 「 東京では手に入らない一流が、野辺山にはあった 」 このパンが、なぜこんなにおいしいのか理解できた。人間の手では動かしようのない、自然そのものが味の主役になっていたからだ。 空気がおいしい。この空気のなかで食べると心底おいしい。そして食べるものはシンプルであればあるほど、いい。お蕎麦なら盛りそば、ごはんなら白ごはん、とれたての高原野菜で作ったサラダと、朝しぼってすぐにプラントで加工した牛乳、それから手作りパン。個人的にはパイ生地ではなくて、なにも飾らない小麦の味がするシンプルな白パンが好きだ。余分な装飾などいらない。素材の味そのものがおいしくてたまらない。 「水だ。水がおいしいんだ。」 私は悟った。 あぁ、水道水がおいしい! ヒトの体の3分の2は水なんだから、水がおいしいとキレイになれそうな気がする ングッングッ...... ・・・と水を飲んでいると、とつぜん電話が鳴ったりする。 RRRRR.... 「ハイ、●●です。..... えっ、浄水器?無料お試しキャンペーン....はぁ、ウチはけっこうです。ではしつれ..えっ?なんですって?(ここで早口で色々おもしろいことを言われる)うーん、あのですね〜、ここに浄水器なんかつけたら、かえってまずくなりそうだからいりません!(キッパリ)」 (浄水器屋さんゴメンナサイね。ほかの土地で営業なさったほうがよろしいかと思いマス) というわけで、いまの私には浄水器もミネラルウォーターも必要ない。 おいしい空気のなか、おいしい素材をおいしい水で調理したおいしいごちそうを食べて、おいしい自然にはぐくまれたおいしい乳製品を堪能して...。 おいしい野辺山 ・・・水道水もぜひお試しください。
ウツクシイ野辺山
野辺山高原に夏がきた。いよいよ本格的観光シーズンの幕開けだ。夏の野辺山には多くの観光客が訪れる。高原野菜栽培のお手伝いにアルバイトさんもやってくる。一時的とはいえ人口が増える季節だ。野辺山観測所でも観光バスや修学旅行の生徒たちを見かける。多いときには見学者用駐車場に5〜6台バスが止まっていることがある。 そう、私たちは観光地に住んでいる。ということは、毎日がレジャーといっても過言ではない。私が野辺山を気に入っている理由その3は「いながらにして高原レジャーが楽しめる 」だ。
じっさい夏の野辺山は気持ちがいい。日差しが強くても、ときおり肌をなでる風はひんやりと冷たい。透明でドライな空気は、まるで空に天然のエアコンがついているみたいだ。 7月1日、朝。わたしはいつものように窓をあけ、新鮮な外気を部屋にいれた。 「あ〜、涼しい」 ふつうに蒸し暑い地域の人にはムッとするセリフかもしれないなぁ。ベランダにしばりつけた(強風で飛んでしまうので)温度計をみると、気温は19℃。暑すぎず寒すぎず、ちょうどいい。しかし、いまからこんなじゃ冬はいったいどうなってしまうんだろう。…それを考えるとちょっとコワイ。 ああ山が美しい。山を見るなら午前中がいい。いや、ぜひ見て欲しい。 透明でツンと澄ました空気のなか、鮮やかなエッジを描いてそびえ立つ八ケ岳を見たら、それだけで「野辺山を訪れてよかった」と、心底思うにちがいない。 それなのに私は、こんなにウツクシイ自然ばかり見ていると妙に心が落ち着かない。あまりに美しすぎて畏れを感じるというか、フッとこわくなる一瞬があるのだ。もともと田舎育ちなのだから、田舎の風景には慣れているはずなのに、ここがよほど洗練された自然だからなのか、単に私が人のつくりだす文化にまみれてしまっただけなのか。 私は観光客がふえる夏がうれしい。 そして人ごみに出会うとホッとする。不思議だな。
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