天文台マダム日記
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空きがある!

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管財係のダメオシ

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天文台官舎妻へのみち

聖地

 

 天文学者の彼とつきあうようになって、はじめて足を踏み入れた国立天文台。

「ここは本当に東京なの?」

 

 そこには別天地がひろがっていた。

 

 手つかずの自然。武蔵野が原野だったころの面影を残す敬虔なたたずまい。レトロな外観の大望遠鏡、歴史を感じさせるドーム。古い観測施設の跡は東京天文台時代の名残りだろうか、先人たちの礎という言葉がうかび感慨深い。木造の旧本館(当時)も昔の小学校の校舎みたいで懐かしい雰囲気だ。

大赤道儀室(現在は天文台歴史館)

旧本館(現在は残っていない)

第一赤道儀室(大正10年の建築)

 もちろん新しい観測施設もあって、森の中から銀色のドームが頭をのぞかせている。背の高い大木がならぶ銀杏並木や桜並木、ポプラ並木。そして、なんといっても人の手が入っていない自然のままの雑木林に圧倒された。聞けばこれらの雑木林は人工の光をさけるためのものだという。

 「だから、こんなに広い敷地の中に建物が点在しているのか。」

 それにしても、なんて気高い、浮世離れした場所なんだろう。こんな環境で天文学者は宇宙と向きあっているのね。

 そうか!

 だから彼みたいなああいう、子どもがそのまま大人になったみたいな、なんか変わってるっていうか、ぬぼーっとしてるっていうか、世間から浮いてるっていうか、どっか仙人みたいな、ひょうひょうとした形容しがたい雰囲気ができあがるんだわ。ナットクだわ。

 ・・・言いたい放題の私であった。

 

 あとで知ったのだが、構内には古墳や旧石器時代の遺跡、江戸時代のお墓やお寺跡があるほかめずらしい動植物が生息している。そればかりか建物自体が、わが国の近代洋風建築史上たいへん貴重な歴史的建築物だった。なんだか天文学だけじゃなくて、学問の聖地って感じだなあ。

 

 朝、太陽の光をあびた木立から水分が蒸発し、雑木林が朝もやをつくる。遠くから見ると天文台のところだけ、ぽっかりと霧がかかったように見える。野鳥のさえずりと朝もやにつつまれた天文台は、本当に「聖地」という言葉がぴったりだ。

 


物置小屋?

 

 休みの日になると私は彼にねだって天文台へ連れてきてもらった。散歩したり、星を見にきたり、それにじつをいうとプロポーズも天文台

 当時はまだ一般公開されていなかったので、彼がいないと中に入れない。婚約者が訪ねてきたと言えば入れてもらえるかもしれないが、見慣れない顔の私がウロウロしていたら警備の人に怪しまれるのは必至だし、方向オンチの私の場合、ひとりでは遭難してしまいそうだったので、彼におねだりして案内してもらったワケだ。

 

 広い敷地を奥へ奥へと歩いていくと、老朽化したボローい木造家屋がいくつかあったので、天文台にはやけに物置きが多いんだなあと、思いながら通り過ぎた。思えばこれが私と官舎との運命的な出会いだったのだ。

 

 観測用の小屋か物置きと思っていた不思議な建物たちは、驚いたことに夜になると電気がつき、よく見るとマイカーがとまっているではないか。それなのに、

「研究者が観測の時とかに仮眠する場所なのかなあ。」

 

 だなんて...。あくまで小屋だと思っていた大ボケな私。

 官舎住民の皆さま、本当にゴメンナサイ。

 

 ※ 現在は見学コースがあって常時一般公開されています。

 国立天文台ホームページ 三鷹キャンパス常時公開について(リンク)

 見学のみなさま、立ち入り禁止表示は守りましょう。迷子になったらヒサンです。

 青木ケ原樹海みたいな場所もあって遭難してもおかしくないです。ヘビに噛みつ かれても知りません。ご注意を。

 


薮のなかの一軒家たち

 

「すごく気になる建物があるんだけど...。」

 彼にたのんで、その建物のあたりへ連れていってもらった。

 

 物置小屋だと思ってしまったのは、建物を裏から見ていたせいであった。表側へまわると結構手入れがなされており、れっきとした人家だ。

 

 薮のなかに小さな家々が隣接している。屋根も壁も古びた一軒家たち。さびたトタンがやけに似合っている。ときどき田舎で目にする、オロナインとかキンチョーとかマルフクとかの古い看板があってもおかしくない。なんともいえない雰囲気だが、どこか懐かしさを感じさせる。野鳥の声がこだましている。あたりはうっそうとした緑の木立。家々の横には畑もあり、昔ながらの竹竿に洗濯物が干してあったりする。 

 なんて時代遅れな景色なんだろう。

 こんなところに現役の昭和30年代が残っていたなんて。しかも現代の東京で

 

 「これは世界遺産だ!」

 

 私は思わず叫んでしまうところだった。

    

「ここって、誰か住んでいるの?」

「ああ、これ?天文台の官舎だよ。」

えーっ、これが官舎?天文台の敷地内に官舎があるの?」

「ってことは、職員なら住めるの?」

「一戸建てなの?なんであんなに古いの?」

「ね、ね、空きはないの?」

「あそこに住めないの?」

 

「数が少ないし、古くからの人が住んでるみたいだから、空きはなさそうだね。」

「でもでもでも、調べてみてよ。」

 

 浮世離れした天文学者にこれほどふさわしい住み家はない。

 〜いいなあ。住みたいなあ。〜

 私はすっかりここの文化的魅力の虜になってしまった。

 こうして私たちは聖地での官舎暮らしを夢見るようになったのである。

 


空きがある!

 

 天文台構内には30数軒の官舎があった。どれも大正時代から終戦後くらいまでに建てられた小さな木造平屋の一戸建てである。かなり老朽化がすすんではいるものの、歴代の住人がそれぞれ手入れをしながら住んできたので、今日まで持ちこたえているらしい。

 

 驚いたことに、ちょうど一軒だけ空きがあって入居者を募集しているという。

「こんな素晴らしいところですもの、きっと希望者が殺到するでしょうね。」

「うん。ダメでもともとだけど、とにかく申請だけはしておこうか。」

 私にとっては、家賃が安いとか、夫の職場に近くて便利とかいう要素はまったく目に入っていない。まさに恋をしている状態である。

 〜どうかここに住めますように〜

 以来、私は神社仏閣のたぐいを見つけるたび、なりふりかまわず拝みたおしていた。

 


官舎入居申請書

 

 入居申請書を提出。夫が書いた申請理由の一部を引用させてもらう。

 

原文ママ

(前半、仕事関係の事が書いてあって、なんか難しくてわかんないので略!)

 ・・・は24時間行われるため夜間の運用が不可欠で緊急時にもすぐに対応できなければなりません。私は車の免許を持っていないため遠方の公務員官舎では極めて困難を伴います。かといって三鷹周辺のアパートは10万円ととても高くて住めません。苦節6年でやっと就職したのでお金がないからです。挙式は11月の予定ですが、現在のアパートが8月末までの契約なので、できるだけ早く入居できるところを探しています。公務員合同官舎は規則上、結婚の2〜3週間前にしか申し込むことが出来ないそうなので、私には構内の官舎しか頼みの綱がありません。どうかよろしくお願いします。

 

 す、すごい切羽詰まった内容!書いてあることは全部本当のことにはちがいないが、これでは担当者も同情しただろう。

 

 入居の許可がおりたのである。

 

 


管財係のダメオシ

 

 日曜日、とつぜん彼から電話がかかってきた。

「いまから天文台に来られないか。」

 入居する官舎の鍵を借りたから下見に来ないか、というのだ。

 

 おどろいたことに管財係から、

「本当に、奥さんになる人の了解が得られているんですか。」

 と、さんざん念を押されたうえに

「本当に婚約者がここでいいと言うか、下見してもらってください。」

 と言われ、鍵を渡されたのだという。

 どうやら、いざ入居という段になってはじめて官舎を見た奥さんが、あまりのボロさ加減にびっくりし、

「あんなところに住むなんて、ぜったいにイヤッ!」

 と奥様に断わられたケースが過去に何度かあったのだそうだ。 

 

 私は別に、見るまでもなかったんだけど...。とにかく下見にやってきた。

 

 ドアをあけると、家の中からモワ〜ンとカビくさい風が吹き抜けてきた。

 よほど管財係におどかされたのか、彼は無言で、いつになく不安げな表情...。

 そんな彼の心配をよそに、私はというと

カワイイ家

ここが私たちの新居なのね〜

 と、早くも目をうるませてうっとり。ひとり悦に入っていた

 

彼 「本当に、ここでいいの?」

私 「ここがいいの!ここに住みたいの!」

 

 というわけで、めでたく入居決定!

 

 さて、そのころご近所では

「新婚さんがやってくる」

 ということで、ちょっとしたウワサになっていたらしい。

「新婚でこんなところに住みたいなんて、めずらしいわね〜。(かわってるのね〜)」

 と話題になっていたことを、後日、ご近所の奥さま方から聞いたのでした。

 


両親の目に涙

 

 7月吉日、私達は都内某所において結納をおこなった。結納のため上京していた両親たちは、「ぜひとも新居が見たい」という。

 もちろん私たちは喜んで、両親を連れてきた。胸を張って自慢しちゃうのだ。

「見て見て!こんなに風流なところが私たちの新居なのよ。」

 

 あいにく入居前で鍵をもらっていなかったので、とりあえず外観だけを見てもらおうと、建物のまわりをぐるっと一回り。建物の裏側までバッチリ見てもらったのだが...。

 

「新婚生活が、あんなあばら屋だなんて...。娘がかわいそうでかわいそうで...。」

 

 私の父は、家に帰ってからもあのボロ〜い外観が目にうかんで、娘ふびんさに何日も泣きくらしていたという。

 夫の両親も、思いは同じだったらしい。考えてみれば、私だって最初は物置小屋だと思ったくらいなのだから、それを忘れていたのが失敗だ。

 あのとき家の中を見せることができたなら、結構手入れされていてキレイだったんだけどな。

 


やぶ蚊の猛攻撃

 

 この話はこれだけで終わらない。

 両親を連れてきたのは夏真っ盛りの7月である。空き家の庭は草ぼうぼう。ただちにやぶ蚊の猛攻撃にあい、家の周りを一周しただけで逃げるように退散したのだった。

 無謀にもミニスカートにハイヒールという格好でこの場に臨んだ私はほんの10分ほどの間に、両足合わせて60個所を蚊に刺され、(数えたんですよ)ただでさえ太い脚はぶくぶくに腫れ上がってしまった。とほほ...。


真夏の草刈り大作戦

 

 8月の週末は4週とも新居に通った。2人で力をあわせて草刈りと家の掃除に明け暮れる。

 私がいちばんはじめに買った嫁入り道具は、草刈り用の「鎌」だ。

 真夏の炎天下で、長そで長ズボンに長靴姿。虫よけスプレーを全身に吹きつけ、虫よけ帽で顔をガード。私はさらに日焼け対策。なんたって、秋には純白のウエディングドレスを着てバージンロードを歩くのだ。その時、背中がツートンカラーになってたりしたら、おごそかな式が一転して失笑の渦だ。それだけは避けたい。

 顔には日焼け止めを塗りたくり、服を着込んでお肌をガード。首までかくれる農作業用の麦わら帽子をかぶって、着ぐるみ状態での草刈り。昼は汗だくになって作業をし、夜はビールで失われた水分を補う日々がつづいた。

 その後、私の両親の絶大なる協力もあり、すっかり見違えるようになった。

 

  9月に入籍後、私たちは一緒に暮らしはじめた。

 

 天文台官舎新妻日記へつづく

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