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天文台官舎マダム日記
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天文台官舎マダム日記
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2000年7月20日、国立天文台三鷹キャンパスに見学コースが設けられた。 この知らせをはじめて聞いたとき、私は大変おどろいた。そして非常にうれしかった。 が、同時にくやしがったのも事実。 「ううう、なんでもっと早く...」 私には因縁の過去があるのだ。
重厚な雰囲気がただよう国立天文台の正門。 かつて私は、ひそかにこの場所を訪れたことがある。 それはまだ私が初々しい女子大生だったころの話だ。小学生のころ星が好きだった私は、上京するやいなや、ひとめ憧れの地を見たい一心で三鷹駅からタクシーに乗って、この正門の前までやってきた。 田舎から出てきたばかりで、東京のことは何ひとつわからない。ただ、頭のなかには呪文のように 「三鷹の東京天文台(当時)」 という言葉がこびりついていたので、とりあえず中央線にのって三鷹駅で下り、あとはタクシーに道案内をまかせたのである。
しかーし、そこで私を待っていたのは、固く閉ざされた門 と「関係者以外立ち入り禁止」の看板、そして、人っ子ひとりいない異様なほどの静寂であった。 私は看板の前で金縛りにあってしまい、それ以上、前には進めなかった。とても中をのぞいてみる勇気などない。いや、恐れ多くて、というのが本心だ。ここに関係すること=まず東京大学理学部に入学すること(当時)がいかに困難であるかを思い出したのだ。 「せっかく..ここまで来たのに...。」 結局、私は未練がましく正門の前でさんざんウロウロしたあと、怪しまれないようにそーっと正門の写真だけを撮って、そのままさびしく帰っていったことを思い出す。高いタクシー代がやけに恨めしかった。(駅から遠かったのだ) むろん、帰りはバスで帰った。
しかし、落ち着いて考えてみれば、なんとも無謀!あまりに無計画! ちなみに夫はというと、やはり上京した際に見学したいと思い、事前に電話で問い合わせたので、私のように直接来てしまって泣く泣く帰るような事態にはならなかったという。 「少しは考えろよな。フフン!」 って、アナタ鼻で笑わなくたっていいじゃないの? しかし、落胆の気持ちは夫も同じ。(受話器をにぎったまま思いきり肩をおとしたそうだ)
でも、これからは受付で記帳して見学者用のワッペンをもらうだけで、だれでも自由に見学することができる。それは、少しでも天文台や宇宙に興味を抱く人にとって、どんなに嬉しいことだろう。天文に思い入れのある人は聖地に入れるというだけで、気分が高揚するのではないだろうか。この高揚感によって「早く行きたい!」と思うあまり、バスを待ちきれず、タクシーに飛び乗ってしまうのである。
ちなみにJR中央線方面からタクシーで来るなら、武蔵境駅からの方が安い。国立天文台までのタクシー料金は、三鷹駅からだと1700円〜1800円くらい、武蔵境駅からだと1200円〜1300円くらい。京王線の調布駅からは1300円前後だった。(2002年当時の相場)
バスだと210円。
天文台見学のご参考まで。
〜国立天文台でもっとも古い建造物〜
さて、見学者に配られるパンフレットを見ると、国立天文台でもっとも古い建造物として大正10年に建設された第一赤道儀室(20cm屈折望遠鏡) が紹介されている。 がしかし、これは表向きの話。 じつは官舎の方が古い。一番古い官舎は、なんと大正4年の築。 (東京天文台の移転工事が大正3年からはじまっていたためと思われる。) もちろん現在も職員と家族が暮らしている。 さすがに築80年以上ともなると、雨漏りなどのトラブルはつきもの。梅雨時はどの家庭も苦労している様子だ。
ある日、いつものように官舎の奥様方と話をしていた私は、信じがたい話を小耳にはさんでしまった。 (以下、再現である)
なんと、おそるべし、自然治癒する家! 大正建築の秘技なのか?!
夫がハワイへ出張することになった。天文台銀座として知られるマウナケア山頂で観測だという。
出張準備は妻の重要な仕事のひとつである。 まず、スーツケースの中には厚手のセーター、厚手の靴下、ダウンジャケット、毛糸の手袋などといった冬物をぎゅうぎゅう詰め込んだ。ハワイへ行くのに冬支度?と思われるかもしれないが、マウナケア山頂は標高約4000メートル。ハワイといえども厳寒の地なのだ。私は夫と結婚してはじめてハワイでも雪が降ることを知った。 つぎに、送り出すときの服装だが、こちらも工夫が必要だ。日本を発つときの服装は、そのときの日本の季節に合わせる。たとえば春だとしたら、春物のチノパンに、おなじく春物で長袖のゆったりしたカジュアルシャツをあわせる。ただし、カジュアルシャツの下にTシャツを着せて、手荷物のなかには半ズボンを入れておくのだ。こうすれば、ホノルルに着くまえに飛行機のなかで簡単にTシャツ姿になれるでしょ という具合に、日本では春、ホノルル空港では常夏、そしてマウナケア山頂では真冬というパターンに対処するのである。
・・・けっこうめんどうくさい。
こんなに尽くしている妻に、アラモアナショッピングセンターでブランドもののバッグとかスカーフとかを買ってきてくれたっていいと思うんだけど。 「ねぇねぇ おみやげのことなんだけどぉ..」 それとなく話を切り出してみたら 「おみやげ?そんな時間ないよ。」 と、むげに却下された。 後日、夫から渡された予定表を見たら、これがおそろしくハードスケジュール!!! 全日程のうち、オアフ島ですごす時間がたったの 4時間12分。 うえ〜ん、これじゃ、アラモアナショッピングセンターどころか、おみやげ自体があやういよ〜。
5月、衣替えの季節。 通常衣替えの場合、冬物をたんすの奥深くしまい、すずしげな夏物を出すというのが習わしだが、わが家の場合、夫の冬物はいつでも出せる場所にしまってある。 セーター、ダウンジャケット、ボア付きのフード、フリースの手袋など、通常なら圧縮してしまい込んでしまいたい!ようなかさばるものがタンスの一等地を占領している。
ハワイ出張に限らず、なにかと冬物は入り用なのだ。 夫は観測の度にあちこちへ出かけるのだが、観測地(電波望遠鏡があるところ)は、たいてい標高が高かったり、人里離れた山の中だったりして、寒い。
野辺山にある宇宙電波観測所は、夫が最も多く出かけていく観測地である。
夏の観光シーズンに訪れると、さわやかな高原の風といい、乳製品がおいしいことといい、人情厚い地元の人々といい、最高に快適な場所であるが、冬場はがらりと表情を変える。 冬は零下20度の厳寒の地。 夫は一度、観測棟から宿舎に帰る途中で視界ゼロのブリザードに見舞われ、観測所の敷地内で遭難しかけたことがあるそうだ。
このゴールデンウィーク、夫の野辺山出張に同伴させてもらった。海外出張についていく、という夢はまだかなわないが、国内の出張に関しては、とりあえず望みがかなった形だ。 #しつこいようだが、いつか海外出張についていくぞ! 5月初旬ごろだと野辺山はまだ肌寒い。昼間、天気がよくて半袖姿ですごしたとしても、夜は本当に寒くなるので注意が必要だ。冬物が重宝することはいうまでもない。 ちなみに三鷹へもどるまえに、野辺山で麦茶をつくってペットボトルに入れておいた。そのまま三鷹に持ち帰ったら(気圧差で)ペットボトルがぺっちゃんこ、とまではいかないが、べコッとへこんでいておどろいた。
とある病院での話。 私と子供が通っている病院へはじめて夫が来たときのことだ。いつもは自転車で通院しているのだが、この日は悪天候だったので、家族を気づかった夫が車で送ってくれたのである。 私は夫のやさしさに感謝しつつ受付をすませ、夫のもとへ歩み寄ろうとした。が、思わず足がとまってしまった。
夫が、壁にへばりついている!
通常なら見向きもされないであろう病院の壁。私は夫の行動によって、はじめて壁が天然の大理石らしいことに気がついた。 夫は私が受付をすませたことなど気にもとめず、いっしんに壁を見つめている。知らない人が見たら、病院で顔を縦横に動かしながら、壁にそって移動していく男...。
あやしい。あやしすぎる。
(他人のふり、他人のふり。) 私が子供たちを連れて、そそくさとその場を離れようとしたそのとき、 「あっ、ママ、ママーっ。」(私は出産して以来、夫から「ママ」と呼ばれています。 ま、私も「パパ」で済ませてますけど。 これを読んでいるマダムの皆様、ご主人からはなんと呼ばれていますか?) 夫がうれしそうな顔で私に手招きしている。 (もうだめだ。バレバレだ。) 他人のフリはあきらめるしかなかった。
「どうしたの?」 「いや、大理石だから化石があるかなーと思ってさ。」 「あったの?」 「これ、これ。」 夫が指さした先には、1cm弱の小さな巻き貝のような模様があった。 「あー、ホントだぁ。」
「ね、ほかにもある?」 「あったよ。これとか。」 こんどは虫?の脊椎らしきものが。 「わー、おもしろーい。」 他人のフリはどこへやら、たちまち私は化石探しのとりこになり、私たち2人は壁にへばりつくあやしい夫婦と化してしまった。 これはおもしろい。けっこうはまる。おかげで退屈な待ち時間を楽しく過ごすことができた。クセになりそうだ。
ではここで、天然の大理石かどうか見分けるコツを夫に聞いてみるとしよう。 「どうして天然の大理石ってわかるの?」 「模様目がみんな違うからひとめでわかるよ。人造大理石は模様目にパターンがあるから、すぐわかるんだよ。」 「ふーん。」 「それと、ほら、堆積岩には石英があるんだよ。」 ところどころに石英の塊があって、壁のなかでキラキラ光っている。
別の場所で確認したのだが、プリントされた大理石の壁紙などは、石英が写っていても輝きがない。まあ、プリントの場合は全体の質感でわかると思うけど。
しかし、マダムな友達の家へ遊びにいったとき、大理石のキッチンカウンターがあったらどうしよう。 いまの私なら、きっと、へばりついてしまう。
天文台官舎新妻日記のなかで、「大雨が降れば雨漏りすることがあるのでバケツは必需品」と書いたが、それは新婚時代の話。子持ちのいまは使っていない。 バケツは風情があってよいのだが、問題は音である。 いたずらが仕事のような子供にとって、間近でピッチャン、ピッチョンと音がすれば気にならないはずがない。大喜びで、バケツに手をつっこむ、おもちゃは入れる、あげくの果てには水遊びだ。あたりはびちょびちょ、洋服もびしょびしょ、私は金切り声をあげ、家の中は修羅場と化す...のは目に見えている。
私はバケツに変わる新兵器を見いだした。 紙おむつ である。
パンパースが雨水を吸って文字通りパンパンにふくれあがる姿は見ものだ。もったいない!という声が聞こえてきそうだが、いたしかたない。家族が不快な思いをするよりましだ。 それにしても、紙おむつの吸収力は本当にすごい。5センチくらい盛り上がっても、まだ吸収力の限界に挑んでいる姿には恐れ入る。さすが世界のP&G!といいたいところだが、こんなにオシッコする子供が、いったいどこにいるんだろう? とにかく一番のメリットは音がしないことだ。雨漏りも気にならないし、子供の関心をひかないですむ。処理も簡単。(ゴミ焼却場のみなさん、ゴメンナサイ) 子供が大きくなって、サイズが合わない紙おむつがあまっていたら、処分しないでとっておくとよい。適度にぬらしてビニール袋にいれ、冷凍室で凍らせれば即席アイスノンのできあがり。小さく切って牛乳パックに入れれば、油の処理にも使えマス。
ウチにうさぎがやってきたのだ。 「天文台に野うさぎまでいるの?!」 と驚くなかれ。かつて誰かが飼っていたうさぎが、いつのまにか野生化したらしい。その証拠に太っているし、動きだって少々にぶい。 普通のうさぎがピョン、ピョンはねるとしたら、 ピョコ、 ピョコ、 ピョコ、 ・・・という感じ。 間合いがあるのだ。
私が入居したてのころ、うさぎたちは何羽もいた。時折、集団でピョコピョコはねている場面に遭遇したのだが、残念ながら野良猫やカラスに襲われて、だんだん数が減ってしまったようだ。 豊かな自然環境は野生の掟だってきびしい。
一昨年の春まで、生き残った2羽のうさぎがウチの縁の下を寝床にしていた。1羽はちょっぴり泥んこ気味の白い(灰色?)うさぎ、もう1羽は毛色が茶色いうさぎ。 朝、新聞をとりに出たり洗濯物を干しに出ると、縁の下からひょっこり顔をだす。私がバタンとドアを閉める音が合図なのかしら。なぜか私と同じタイミングで出てきて、夕方、私が散歩や買い物から帰ってくると、ちょうどうさぎたちも帰ってきて、ピョコピョコ縁の下に入っていくシーンが見えたりする。かわいいなぁ 一度も餌をあげていないのだけど、まるで放し飼いをしている気分。 「おーい、うさぎぃ、出かけなくていいからウチの庭の草を食べてよ〜。」 うさぎに草刈りをまかせようと思ったのだが・・・ダメらしい。 うさぎは、朝日がさしだす6時半〜7時ごろ出かけていく。そして夕方5時半〜6時ごろ、暗くなる前に必ず戻ってくる。活動範囲は以外と広く、官舎から1kmくらい離れた場所で食事していることもある。なぜか春の間だけ居候したあとゴールデンウィーク頃にはいなくなり、年が明けてしばらくすると、いつのまにか縁の下にいる。
去年もうさぎはやってきた。 けれど茶色いうさぎ1羽だけだった。 「白いうさぎ、死んじゃったのかな。」 夫も心配そうだ。 「うさぎ、元気だして。」 はじめて差しだしたニンジン。茶色いうさぎは、私の手から食べてくれた。
2002年、今年はうさぎがこない。一度も姿を見かけない。 「茶色いうさちゃん、猫にやられたみたいね。」 官舎でも噂になった。
うさぎは寂しいと死んでしまう、と、どこかで聞いたことがある。 ひとりぼっちで越す冬は、寒すぎたのかもしれない。 うさぎ、うさぎ。 うさぎたちは再び出会えただろうか。
あたたかい、天国の野原で。
(たまさんびゃく)
天文台官舎わきの並木道にそって、森のような原っぱのような場所がある。武蔵野原野の面影を残す、三鷹キャンパスならではの美しい風景だ。 ある日、ウチへはじめてやってきた友人がこの場所を見て言った。
「すごい!ここって、バーベキューとかできるの?」 どんな施設でもそうだと思うが、天文台内は火気厳禁である。
「いいなあ、こんなに土地があまっているんだったら住宅地にしてくれればいいのに。」 「いや、あまってないって...」
「そしたら私、ぜったい買うのにな〜。」 「だから、あまってないって...」
「いいよね、国の土地って。こうやって遊ばせておいても損しないんだから。」 「あのさ...不動産屋じゃないんだから...」
私のツッコミなど意に介さず、とうとう彼女は原っぱの上をドスドスと振動を発して歩きはじめたので、私は つい 脅してしまった。 「あ!そこ、地下で重力波の実験やってるから、足音たてちゃダメなんだよ。」 「え!」
あわれ、友人は片足をもちあげたまま固まってしまった。
「うそうそ(笑)」 足音たてちゃダメ、というのは真っ赤なウソだが、あとは本当。 あなたの目の前に広がる原っぱのような場所、あなたが歩いてるその地面、空き地じゃないかと、あなたは言う。無理もない。私だってここに来るまでは知らなかった。 この原っぱの下で天文の観測をやってたなんて。それもノーベル賞だって狙える世界最先端の実験施設が、ドーンと地下にあったなんて。
なんと直線300メートルの地下道が2本(2方向)と、レーザー発生装置や検出器といった数々の実験装置がおさまっている巨大な地下室があるのだ。はじめて見学したとき、私はかなり感激した。こんなすごい研究を三鷹でやっていたなんて、なぜ今まで知らなかったのか、私は自分で自分を問いつめたい。 そして、ぜひ、もっと知られて欲しいと思うのだ。
TAMA300が見られるチャンスは年に一度。 特別公開日にのみ見学できる。
くれぐれも地上の建物が地味だからといって見逃さないように。 あ、そうそう、地下に降りる階段のことを考えて、短いスカートは避けた方が無難です。
ノーベル化学賞の田中耕一さんが人気だという。なんでも「いやし系」ということで、とりわけ女性の間で人気沸騰中だとか。今や国民的癒し系ヒーローという感がある。 こうなると「田中氏グッズ」ができるのも時間の問題だろう。まずは携帯ストラップあたりからはじまって、田中氏アイピロー、田中氏抱きまくら、田中氏アロマテラピーセットみたいな感じで巷に田中氏グッズがあふれだしたらどうしよう。私が複雑な心境に陥るのには重大なわけがある。
なにをかくそう夫と田中氏は、顔が似ているのである。
とくに若いころの写真などは激似である。もしもこの結婚の動機が「夫の顔に惚れて」というのなら、私は田中耕一氏と結婚していてもおかしくないのだ。 その場合私ならば、今ごろ授賞式に出席するための高額なイブニングドレスと宝飾品をねだり、いやがる夫をひきずって社交ダンス教室の門をたたき、ガイドブックでストックホルムの高級ブランド品店をチェックし、TVのインタビューに備えて妻用のスピーチ原稿を書き上げる、といった具合に夫以上の舞い上がりぶりをご披露するにちがいない。そして「ノーベル賞学者マダム日記」なるホームページを立ち上げ、延々と自慢話を書きつづっていることだろう。
といきたいところだが、そのような社会悪をノーベル様が黙って許すはずがない。
テレビで目にする田中氏の奥様は、控えめな感じで奥ゆかしい雰囲気のナイスミセス。ノーベル物理学賞を受賞された小柴博士の奥様しかり。これはきっと、ご夫人が奥ゆかしいということが、研究者の夫にとって何らかのプラス材料となっているにちがいない。 よーし、私もあのご夫人たちのように奥ゆかしい女性になるよう心がけよう。それには今よりほんの少しだけ謙虚になればいいと思うのだ。そうすれば、夫にもノーベル賞に結びつくような幸運が舞い込むかもしれない。それこそが妻の内助の功というものではないか!
・・・しかし、できもしないことをweb上で宣言したとなると、夫が黙ってはいないだろう。 ケンキョ、ケンキョ、ホーホケキョ...。
結論:夫には、くれぐれも内助の功などあてにせず、ぜひとも独力でノーベル賞をとっていただきたい。
・・・湯沸かし器も凍りついていた。
「ぅぅぅ〜さぶぅぅ〜!!」 冬の朝、お湯が出ない台所は寒さもひとしお身にしみる。 天文台官舎に暮らしてからというもの、毎年ひと冬に2〜3回はこんな朝がある。まぁ、私にとっては別段めずらしいことではない。なにをかくそう私の出身地は長野県である。夏冷涼、冬寒冷という避暑地のような土地で育った私にとって、冬に数回流しが凍るくらい、カワイイものだ。
この日はたまたま、PTAのお母様方とこんな会話をかわす機会があった。
ううう、そんなに心配してくれるなんて、みんなやさしいなぁぁ え? みんな?
この東京において、室内で氷が張るなどということは極めて特殊らしいことに、ようやく気づいた私であった。天文台官舎独特の味わいある昭和30年代的風合いは、住宅の保温性・密封性といった機能もまた昭和30年代的というわけである。おかげでまたもや、思いもかけない自然現象に出くわしてしまった。
朝、これを見た私はひとり台所で笑いころげてしまった。 見せびらかすために家族をたたき起こしたことは言うまでもない。
さて、このようにレトロだの風流だのと形容されてばかりの天文台官舎だが、最近になって私は意外なニュースを小耳にはさんだ。新聞・雑誌・テレビ・インターネット等で、こぞって取り上げられているから、ご存知の方も多いだろう。 いまは、昭和30年代ブーム なんだそうだ。 この不況と呼ばれるご時世に、昭和30年代に関するものは軒並みブレイクしているらしい。 つまり、 をいっていたのである! なんと素晴らしい先見の明ではないか。
わが愛する天文台官舎よ、その頂に、今こそこの形容詞を冠する時が来た。 〜 天文台トレンディ官舎 〜 次のコーナータイトルは、天文台トレンディ官舎日記 で決まりだ!
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天文台トレンディ官舎日記へつづく
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