|
|
|
|
|
〜中田英寿選手引退によせて〜
中田選手引退の第一報を聞いて「ああ、やっぱり」と思った。すぐに、ブラジル戦のあとの姿を思い浮かべた。 6月22日早朝、ひとり早起きして茶の間で見ていたブラジル戦。試合に敗れた後、センターサークルで顔を覆って仰向けになっている中田選手の姿を見て、私は朝から泣いてしまった。 「中田選手が泣いている、ピッチにお別れしてるんだ」 これが最後のワールドカップと、覚悟を決めていたが故の行動に見えたからだ。 だが同時に心のどこかで、「うらやましい」という思いも抱いた。中田選手が仰向けになった場所は、ピッチの端っこではなくセンターサークルだった。 あえてあの場所を選んだ中田選手。やるだけのことをやった男だからこそできる、最高に贅沢な決別の儀式。その資格があるか、という意味を含めて、あれができる男は世界中にそうはいない。 ワールドカップのピッチの真ん中、ひとり見上げたドルトムントの空はどんな風に映ったのだろう?
一度だけ私は、日本代表の試合を応援したことがある。1996年、アトランタ五輪のハンガリー戦だ。 じつをいうと当時の私は、サッカーにまったく興味がなかった。 たまたま同時期に予定されていたスペースシャトルの打ち上げが、中田選手や日本代表の試合に興味を抱くきっかけになったのだから、世の中なにがどう結びつくかなんて、わからないものである。
「五輪サッカーとスペースシャトルの打ち上げを見に行こう!」
当時、勤務先の友人がオーランドへグループ旅行を計画していて、私を誘ってくれた。 ちなみに、サッカーよりスペースシャトルの方が見たくて、参加したことは言うまでもない。(もちろん、ケネディ宇宙センターへ行ってきましたとも!) 当時はまだ日本人サポーターが大挙して押し寄せる時代ではなかったらしく、スタジアムには空席があったのを覚えている。それでもスタンドは「マイアミの奇跡」の余韻さめやらずといった感じで、試合前から盛り上がっていた。 肝心のスペースシャトルは、打ち上げ延期で見られなくなってしまったのだが、私の中にはサッカー観戦の心地よい感動と、のちに「アトランタ組」とよばれる選手たちのみずみずしい姿が焼きついていた。 今回のドイツW杯代表に残った「アトランタ組」は中田英、川口、(田中誠)の3選手だけ。ほかの選手たちは、今どうしているのだろう? と思っていたら、こんな本を見つけた。 星屑たち それからのアトランタ組物語 川端康生/著 (↑星つながりでよかった) 城選手や前園選手を取材したノンフィクションらしい。こんど読んでみようっと。
プロに徹する潔さ
決して弱音をはかない。弱みをみせない。絶対に言い訳をしない。ただ黙々とピッチに立ち、結果を出し続ける。誇り高くストイックな中田選手の生き様に、私は強烈に惹かれた。 中田選手はイチロー選手と比較されることが多い。二人とも、尋常でない努力をしているはずなのに、その過程をいっさい表に出さないところが文句なしにカッコイイ。 天文台にも中田選手のような研究者が大勢いる。誇り高さの陰には、それだけのことをやってきた努力の裏付けがある。できれば自分もそうありたいと願っているが、これがなかなか、くじけてしまって難しい。 「結果がすべて」 プロの世界ではそれがあたりまえかもしれないけれど、それを世界の舞台で、徹底して見せてくれた中田選手は本当にすごいと思う。
「疾如風 ピッチを駆けろ!中田英寿」
ドイツW杯代表メンバーが決まってから、韮崎市役所の壁にこんな垂れ幕がゆれていた。この言葉通り、ドイツW杯では死にものぐるいでピッチを駆ける中田選手を観た。テレビ画面からもその迫力が伝わってくる。圧倒された。 オーストラリア戦、逆転ゴールを奪われた直後、誰よりも早く切り替えて、うなだれる選手たちを鼓舞していた中田選手。チームのために黒子に徹して黙々と中盤をつくり続けたクロアチア戦。乱暴なくらい闘志むき出しで、気迫のプレイを見せたブラジル戦。
思いは伝わった。感動した。
中田英寿選手、ありがとう。10年間のプロ生活お疲れさまでした。 もうピッチで勇姿を見られないのは残念だけれど、これからの活躍も楽しみにしています。
つづく |